やっぱ、北海道~(第19回)

(続き)

 列車は西に向かい、やがて天塩川を渡る。西名寄駅は右片ホーム。小さな納屋のような駅舎があり、左側には側線あとと思しき空き地がある。ここで、列車交換をすることもあったのだろう。周囲は水田地帯。
 天塩弥生も右片ホーム。西名寄よりは少しサイズの大きな駅舎がある。左手が牧草地になり、山の景色が近くなってきている。スピードも落ちてきている。それほどの勾配があるとも思えないが、これからの山あいを走る余力を残そうという走り方である。ただ、時速15キロくらいと不自然なくらいにあえぎながら走る。と、周囲がたちまち山の中になる。5月というのにザラメの残雪が熊笹にへばりついている。列車は時計の反対周りにループするように走り高度をかせいでいるように走る。向きが西になる。さらに残雪が多くなる。
 初茶志内トンネルに入る。峠を抜けようとしているのだろう。
 すぐに抜けると、周囲は雑木林で左向こうの景色がすっきりと見える。まだ、新緑には早くて景色は冬が終わってますというだけの素寒貧とした眺めだ。

    列車はさらに高度を上げていく。
 家一軒見えないこのようなところに毎日列車が走ることが不思議で仕方がない。
    陽が左になる。左手下は谷である。山にへばり付くようにして、雑木林の中をさまようように走る。
 短い三つ目の熊牛内トンネルを抜けると、すぐに名雨トンネルに入る。依然、上り基調をうなりながら走る。トンネルを抜けると積雪が30センチほどある。と、列車は下りになって、駆け下りていく感じで走る。やがて平たい土地を走るようになる(時刻は16時36分)。積雪は依然として多く、ところどころに水芭蕉が咲いている。
 北母子里(きたもしり)で、唯一の女の子が降りていく。その昔、氷点下41.2度となって日本最低気温を観測したことで有名な地である。冬は危険な場所なのである。
    その先も山中をだいぶ走り、湖畔駅着。以前に来た時には、この途中で「白樺」と「蕗ノ台」という小駅があったが、1990年に廃止になった。湖畔は、朱鞠内湖の湖畔のことであるが、あたりは、誰が見ても駅名の付けようがない場所である。その湖は水が少なくなっているようで、朽ちた樹木が水面から顔を出している。
 朱鞠内17時4分着。8分停車。

 この線は、理由はよく分からないが、朱鞠内でほとんど分断された時刻ダイヤとなっている(以下は1989年8月のダイヤ:JTB時刻表より。白樺駅と蕗ノ台駅が残る)。この列車だけが、唯一朱鞠内で長時間待たなくても先に行ける。下り列車では、このような好接続の列車は存在していなかった。 

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 駅構内には腕木信号機があり、駅員が二人いて忙しそうに動き回っている。以前来た時にはいなかったのに、廃止が決まり乗客が増えたせいだろうか。改札窓口で硬券の入場券を購入。一緒に乗ってきた鉄道少年たちが構内をあちこち動き回っている。17時12分発。
 次の共栄は右片ホームの停車場。近くには全く人家が見えない。
 だいぶ走って平坦な土地となり、さらに走って政和(せいわ)右片ホームの停車場。馬小屋のような駅舎が残っている。右手の山は見事なくらいに雪山のままである。
 緑色のトラス橋を渡り、右窓に川が見えはじめる。雨竜川である。ゆったりした流れは、どこか天塩川と似ているが、水の流れる方向が逆で列車の進行方向である。左右の林には、白樺がこれでもかというくらいに生えている。北海道で白樺を見るたびに、高校生時代に読んだ、会津若松藩が戊辰戦争に敗れ、結果的には北海道に強制移住を余儀なくされて、苦労して土地を開拓する話で、白樺はすぐに燃えてしまい、寒い冬に燃やしても燃やしても暖が取れないということだけがよみがえる。
 牧草地が多くなるが、人家は見えない。
 陽が間もなく山に隠れようとしている(時刻は17時46分)。
 左手が牧草地で、右はクマザサ、道路、水芭蕉の群生地である。雪の重みか経年変化かで屋根が潰れた廃墟が2軒。その先に雨竜川を渡ると右手前方にまちが見えだす。
 上幌加内 右片ホーム。乗降口のためだけの一両の長さの木のホーム。乗り降りなし。
 17時57分幌加内着。2分遅れている。この線の途中駅としては一番大きな駅で、そば粉の産地として全国的にも有名な町である。下り列車と交換。腕木信号機があり、昔ながらのタブレット交換を駅長が行っている。
 次の新成生(しんなりう)は、左片ホームの停車場。上幌加内と同じ木造のホーム。車両がはみ出て止まった時に、列車の前方が道路にかかっている。
 山が遠ざかったせいで、この辺では陽が沈んでいない(18時5分)。北海道らしい殺風景な景色が続く。
 沼牛 左片ホーム。駅舎は化け物屋敷化している。その近くには古ぼけた倉庫がある。
 列車は再び登り勾配となり、左右に白樺林が行き過ぎる。終点深川に到着までにまだ越えなければならない峠がいくつかありそうだ。左手にダムのようなものが見える。一部に氷が張った水面が見える。
 間もなく幌加内トンネルになり、すぐに下り勾配に変わる。トンネルの入り口が峠のようである。勾配が25パーミル(1000分の25)の標識が見える。と、右手の視界が開け列車が随分と高いところにいることがわかる。蛇行する雨竜川の水面が夕日を浴びて光っている。
 陽がようやく隠れた(18時20分ころ)。快晴に近い好天の一日だった。
 鷹泊 右片ホーム。大きな納屋のような旧式の木造駅舎が残る。右手、道路の向こうに雨竜川が流れる。
 下幌成 左片ホーム。短い木造のホームに木造の待合室がある。
 幌成 右片ホーム。駅舎は壊され、貨物列車の車掌車両がペンキできれいに塗られたあとぽつんと置かれてある。
 右手前方にまた、夕陽が顔を出す(18時32分)。
 宇摩 左片ホーム。やや長めの木造のホームだが、待合室がない。
 平地となって地平線が見えるようになってきた。陽は完全に没している(18時38分)。
 多度志 右片ホーム。久しぶりにまともな乗客(女学生)が乗ってきて、車掌から切符を買っている。何となく、車掌の存在価値が出たみたいで思わずほっとする。
上多度志 右片ホーム。やや小さめだが木造の駅舎があり、駅前に10軒ほどの人家が建っている。
 その後、再び少し登り勾配となり、山中の切通しのようなところを走り出す。列車が巻き起こす風であおられて、クマザサが大きく揺れている。残雪がところどころに見える。
 あと二駅で終点なのに地形的に険しいところに分け入って行く。トンネルに入る。依然、登り基調。
 しばらくして下りになるが、山中だ。勢いがついてスピードが上がる。
 景色が開けてきて、周囲が水田になる。円山 右片ホーム。盛り土でできている。簡易な物置のような待合室。暗闇が迫ってきているが、十分景色は見える。田起こしをするトラクターのテールランプが赤く光り、左手前方にまちの明かりが見え出す。
 ようやく、ヒトが住むところにまで戻ってきたという気分になり、もの凄い未開の地をずっと走ってきて深名線が存在する環境の過酷さを実感した旅だった。
 ようやく荒起こしを終えた水田に水が張られているところもある。自分の故郷(石川県)では、通常なら2週間前には、田植えはすべて終わっているので、所変わればということを実感する。
 左手から函館本線の線路が近づいて並走するようになる。
 深川駅4番線18時59着。1分ほど早着。4番線ホームは他と比べて一段低くなっている。駅長がタブレットを運転手から受け取っている。
 次は1番線から19時19発のスーパーホワイトアロー24号。4号車に乗り、車窓を見るために深名線では、読むのを我慢していた武田百合子富士日記の続きを読む。
 20時20分札幌着。駅前のホテルにチェックインする。

                         (この項、終わり)