やっぱ、北海道~(第15回)

ⅴ.増毛駅
 増毛(ましけ)駅は、ローカル線終着駅の風格を最後まで大事にしていたいい駅だった。
 が、2016年12月5日に留萌本線の先端の留萌―増毛間16.7キロが廃止され、同時に増毛駅も廃止された(その後、駅舎を地元が保管管理することとなったのは嬉しいことである)。この廃止された区間は、日本海に面した河岸段丘の上を走り、まさに最果ての気分に浸るには絶好の車窓だったが、それを見ることが出来なくなった。
 ここには、1986年2月27日に一度訪れているが、それ以降一度も行っていない。
 全国の鉄道2周目とお別れのため、2015年11月に再訪することとした。

 11月1日(日)朝4時半に起床して、5時半発の地下鉄で横浜駅に出る。
 ハロウィーンを徹夜でやっていたらしい若者が、おかしなコスチュームのまま、改札口で別れの挨拶をしている。5時42分横浜駅発の京急快特(「快速特急」の略で、「特急」より早い)泉岳寺行で蒲田まで向かう。蒲田で乗り継いだ列車も快特だったので、あっという間に羽田空港に到着。
 旭川へのANA4781便は、Air DOとの共同運航便で6時40分定刻にドアが閉まり、離陸。この飛行機は、旭川からの客を乗せるための回送便のようで、閑散としている。
 外は気持ちの良い快晴で、窓から、利根川霞ケ浦九十九里浜が地図通りに、くっきりと見える。
 8時20分定刻に旭川空港に到着。
 旭川駅への空港バスは、8時50分発。空港ビルを出ると気温は4.7度。無風なので、寒さは感じない。9時20分過ぎに駅に到着。なんと、駅が高架となり、生まれ変わって現代的になっていた。調べると2011年に新駅舎が完成したらしい。無沙汰するものは日々に疎しだ。世の中の変化はいたる所で、起こっていることを改めて感じる。

 この北海道の駅らしからぬ新生旭川駅は、ホーム部分が横から見るとガラス張りで、構造となっている鉄骨がデザインの一部となっている。山陰線のニ条駅や花園駅に似ている。

    以前の駅舎には、よく訪れた。昭和の1980年代、旭川のいくつかの病院を回って臨床試験のデータを回収していたので、毎月のようにこの地に出張し、宿泊は駅前の旭川ターミナルホテルであった。そのホテルは影も形もなくなっていた(JR INNという大きなホテルがその代わりのように建っていた)。駅北側の通りまでの通路も広くきれいになってはいるが、そこへの距離が遠くなっており、歩いてその先の市街地に向かって歩きたくなるような場所ではなくなっていた。現代風共通の殺風景な感じがした。
 駅改札口近くに、昔から変わらぬスタンプがあった(文言は、「雄大大雪山連邦の駅 函館本線旭川駅」)。押してみるが、昔の記憶のようにインクが霞むように淡い色しかつかなかった。
 10時21分発の各駅停車岩見沢行は5番線の2両編成のディーゼルカー(キハ40)で、定刻発。一駅一駅丁寧に止まりながら、深川10時50分1番線着。
 ここで留萌本線に乗り換える。次の列車は、4番線から11時8分発の2両のステンレスボディのキハ54の2両編成のワンマンカー。が、後方の1両には乗れないことになっている。廃線になった深名線(深川―名寄間)の発車ホームだった6番線は健在。
 車内の網棚には、大きなカバンがいくつも乗っていて、遠方からの旅行者と思われるヒトが静かに列車の発車を待つ。定刻発。
 留萌本線の深川寄りは農地を走り、途中から山岳地帯に少し分け入り、峠を越えて留萌で港町に到着する。50.1キロを約1時間で結ぶ。留萌から先は、日本海に沿って南西に16.7キロをほぼ真っすぐ走り増毛が終点である。現在では、1本の盲腸線(行き止まりの鉄道線)だが、1987年3月末までは、留萌から北に向かって宗谷本線の幌延につながる羽幌線(支線)が走っていたので、「留萌本線」と名付けられて、現在に至っている。羽幌線から留萌本線に乗り換える跨線橋は、その間の貨物線の数が半端なく、もの凄く長い橋だった。
 列車があっという間に、難読駅「北一已(きたいちやん)」に到着。ここは、宮脇俊三が愛した駅の一つで、片ホームの停車場である。木造の古ぼけた無人の駅舎が残る。宮脇が愛したのは、周囲に何もないからと書いていたと記憶する。朝が早かったのと陽が出て車内が温まってきて、眠くなる。どうせ、この線は往復するので、往きは眠っても気にすることはない。
 真布(まっぷ)は木製の片ホームの停車場。背の高い三角屋根の待合室がホームに接して建っている。二人も乗車してくる。
 その先、列車は登り基調となり、両脇に葉をほとんど落とした白樺が見え出す。
 恵比島、左片ホームの駅だが、駅舎がしっかりしている。NHKのドラマの舞台になった「明日萌(あすもい)」はこの駅。1988年ごろに、仕事の空いた時間に、深川と留萌の間だけを往復したことがあり、その時には駅員がいたが、今はシンとして静かに駅が建っているだけである。その先、さらに列車がくねくね登り出す。
 少し下りになって、初めてのトンネルに入り、出てすぐにさらに長めのトンネルに入る。
 峠下(とおげした)は、相対式の列車交換のできる駅。おじさんが一人乗ってくる。
その先は、一旦水田地帯に入り、ススキの穂の中を行く。
 幌糠(ほろぬか)、右片ホームの駅。貨物列車の車掌室を利用した駅舎(通常、ダルマ駅舎とよぶ)が見え、その脇を峠下で乗ってきたおじさんが降りて歩いて行く。
 ゆらゆら揺られて、藤山駅。右片ホーム。木造の駅舎健在。駅前にそびえる大きな木(槙か?)も健在。何となく嬉しくなる。
    その先、再度山の中をさまよい、線路脇に家が目立つようになって、水量がたっぷりの留萌川を渡る。かつては、石炭を積んだ貨物列車がたくさん止まっていた広々としたヤードが、なんとゴルフ場に変わっている。留萌1番線到着、12時5分。

                          (この項、続く)