仙石東北ラインで忘れものを受け取る

 2011年3月11日の東日本大震災を、自分は都内のオフィスで体験し怖い思いをした。

 しかしながら、何とか帰宅して夜中に見た東北を中心とする太平洋岸津波に押し寄せた津波のテレビ画像ははるかに筆舌に尽くしがたい惨状だった。今年(2021年)で65歳になるが、あの空中から又は小高い丘から撮影された止まることを知らない黒い波が田畑を、町を飲み込んで行く映像は自然の猛威とはこういうことかと初めて感じた映像だった。

 津波が押し寄せた石巻に、仙台から速達する列車が直通で走り出したのは2015年5月30日からである。JR東北本線松島駅手前でJR仙石線の線路が絡まるように走っているが、そこに短い渡り線が敷設され、「仙石東北ライン」が開通した。

 少しでも利便性を高めるためにこの約400メートルの渡り線ができたのだが、そもそも仙台から石巻には仙石線という線があり、また保線用車両が通過する東北本線からの渡り線が以前からあって、この新しい渡り線を敷設する場所が確保されていたという事情があるようだ。歴史として、仙石線宮城電気鉄道という民間の路線を第二次世界大戦終戦前の1944年に国有化された路線で、駅間が短く約50キロの間に30の駅があり、線路も曲がりくねり仙台から石巻に到達するのに約90分かかる。さらに、多賀城駅と仙台駅間には後続列車が先行列車を追い越せる設備がないため、その区間はすべて各駅停車の列車しか走らせることができなかった。一方、今回の渡り線によって、高城町から石巻の間の6駅を通過する快速列車なら約60分と30分短縮できることになった。

 ただし、別の困難があった。いずれの線も電化されているが、東北本線は交流電車、仙石線は直流電車が走るので直通の電車は製造しにくい。また、石巻駅からは、石巻線という電化されていない女川駅まで通じる線も伸びている。ということで、JR東日本は、電車でないハイブリッドのディーゼルカーをこの線専用に製造し、直通運転を可能にした。さらに2017年には女川まで仙台から直通列車を走らせることができるようにもなった。

 人知を結集して開通させた素晴らしい直通列車なのである。

 

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(JR仙石東北ラインの渡り線〔ピンク部分〕付近図。JR東日本のホームページより)

 

 この新線を初めて乗ったのは、開通して1週間後の2015年6月6日だった。

 その時の旅は、この新線が開通した魅力もあったが、震災後初めての女川駅を訪ねたいと思い出かけた旅だった。女川は石巻線の終着駅で、女川湾に面し震災の津波によって跡形もなく流された駅であった。震災のはるか前の1984年10月に一度だけ訪ねたことがあり、1面2線のシンプルな島式ホームに上がる2メートルほどの階段の途中に以前の津波はここまで来たという目印がペンキで描かれていた。それはすごいと思って眺めた記憶があった。 

 が、東日本大震災津波女川駅での高さは17.4メートルに達し、駅は一度は消えてなくなったがそれが復旧した状況を見にいく旅であった。

 しかし、今回の記録はその次に乗車した2017年1月26日の旅の記録を主に記載しようと思う。

 

 列車に乗っていても必ずしも楽しい思い出ばかりがあるわけではない。

 その代表的な不幸は、忘れ物である。

 自分には生まれつき忘れ物の癖があるらしく、小さい時から母親に学校に出かける際にあれは持ったか、これはどうかという尋問を受け確認が済んでから出かけることが許された。

 結婚してからも、長い旅に出かける際は妻にあれは持ったかの査問を受けてから出かける。

 パスポートを持たずに海外出張に出かけようとして、空港から自宅に引き返して間一髪で飛行機に間に合ったことなど、冷や汗の思い出がいくつかある。

 この時の忘れ物は、列車に乗りながら記録したメモ帳であった。

 2016年12月に還暦となり、当時勤めていた製薬会社を定年退職した。1年ごとの契約社員で引き続き勤め人となる道もあったが、何か医療機関や患者さん側のミスで当時の会社の製品の使い方を間違える事故が起こると、世間を騒がすような大きな問題になりかねないような高度なリスク管理が求められる業務だったので、その緊張感に耐えられず退職を選んだ。

 翌月JR東日本の大人の休日俱楽部の乗り放題切符で、震災の東北で復活を果たした路線を訪ねる旅に出かけた。

 その日は朝早く横浜の自宅を出て、東京駅から東北新幹線に乗車し仙台駅で下車。すぐに東北本線に乗り換え北上して小牛田駅で下車。その先石巻線に乗車し途中の前谷地で気仙沼線に乗り変えた。その時に石巻線の列車の中にメモ帳を忘れてしまったのである。ただボーとしていたわけでなく、途中駅で、走っているとは思わなかった貨物列車が前方からやってきて興奮してしまったせいかと思っている。

 気仙沼線の列車は途中の柳津どまりだった。その先は、津波で被災した線路区間にBRT(バス高速輸送システム)というバスが走るようになったのである。

 手帳を忘れたことは、気仙沼線の列車が動きだしてメモを取ろうとしてすぐに気づいた。

 列車はワンマンカーであるため、終点の柳津に到着してから運転手に相談し、石巻駅にとりあえず連絡することとした。電話で手帳を拾得した場合に連絡が欲しいことをお願いした。その先も旅を続けたが、なんと翌日に自分の携帯電話に石巻駅から連絡があり、その手帳を預かっているので取りに来るようとのことであった。

 そこで、盛岡から東京に帰る次の日に仙台で東北新幹線を途中下車し、仙石東北ラインで石巻を往復することにした。速達で石巻に行ける恩恵をこういう形で被れたのは何とも申し訳ないことである。

 13:29にやまびこ18号が仙台駅に到着した。すぐさま、これから手帳を受け取りに伺うことを石巻駅に電話した後、駅ビル内で食堂街を歩く。次の仙石東北ラインは14:16発なので少し時間がある。季節のセリ鍋が美味しそうだ。いつか食べてみたいものの、一人ではつまらないだろう。今日は時間的に鍋を食べる時間もない。結局ランチで食べたいものが見つからず、代わりに手帳を保管していただけたお礼の気持ちを伝えるべく、小さなクッキーの缶を一つ買った。他人にとっては、列車に置き忘れた僕の手帳は落書き帳みたいなもので何の価値もないものだろうが、自分にとっては、旅で見えたものがたくさんメモされている貴重な記録であり大事な宝物なのである。鉄道に乗りその最中に手帳をつけ始めようと思って約40年。その間に50冊ほどの手帳が溜まり、それを見れば列車旅の風景が蘇ってくる。クッキーひと缶では申し訳ないとは思うが。

 仙石東北ラインの快速列車は仙台駅2番線のハイブリッド(HB)車両4両編成。車両番号もHB-E212-4などとなっている。

 ところが、同じホームに止まっていた前に到着した車両が故障し、動かすのに手間取り16分遅れの14:32発。何かとトラブルがあるものだ。この遅れでも、石巻駅で20分ほど滞在できるので、仙台駅から東京駅に乗車するはやぶさ号の指定席を変更する必要はなさそうだ。冷たい風が吹きすさぶホームで待っていたので、身体の芯が冷えた。

 列車は仙台から塩釜までノンストップで走る。塩釜駅の先で右手から仙石線の線路が近づいてきたところで、海がその先に見え始める。松島湾だ。いくつか短いトンネルを抜けるとスピードが落ちて仙石線への渡り線に入る。位置的には、瑞巌寺の裏手あたりである。まもなく高城町で停車。島式2面のシンプルなホームだ。この先も、仙石線の駅をいくつか飛ばして快速として走る。高城町から鹿妻(かづま)駅までが、東日本大震災による津波で不通になった区間である。左片ホームの陸前富山駅で右手に海が間近になるが、その海が車窓からは見えないくらい高いコンクリートの防潮堤が続く。次の陸前大塚の島式ホームの向かい側に列車を待たせ、列車が通過する。東名(とうな)も通過し、次の野蒜(のびる)駅で停車。いつしか列車は小高い丘の上に来ている。津波が押し寄せた旧駅からはるか遠くの台地の上に新駅ができた。山を切り開き新しい街をつくろうとしているが、まばらにしか家は建っていない。そのあと少し左カーブし、今度は大きく右カーブしながら川を渡る。津波で何もかもなくなり残された松だけがまばらに見え、地平線が雄大な景色である。

 石巻に15:32到着。1番線。ちょうど1時間の旅であった。

 すぐに駅の精算窓口に行き、手帳を受け取りに来たことを伝えた。係のヒトがてきぱきと手続きを指示してくれ、手元にすぐに手帳が戻った。

 ささやかなお礼である旨を伝えクッキー缶を渡そうとしたが、こうしたものは受け取れないことになっていると返事があった。が、こちらがしばし黙っていると、ありがとうと受け取ってもらえた。愛すべし、宮城県人、東北人。

 帰りの列車は定刻の15:52に発車。往きに乗ってきた編成の折り返しであった。

 今日は好天が続き、矢本駅あたりで、低くなった夕陽が眩しく車内に入ってくる。島式ホームの陸前小野駅で下り列車と交換するが、当方の列車はホームの右側に進入する。列車は車と同じ左側通行なのに列車行き違いの際に、右側のホームに進入する意味がなんとなく気になる。

 高城町の先の渡り線を渡って東北本線に入ると、列車は本来の力を取り戻したようなスピードになる。

 次の停車駅塩釜は高架ホームの駅で左手を見下ろすと年季の入った駅舎があり、そこへ続く通路など全体に懐かしさを感じさせている。次に来るときは一度降りてみよう。

 仙台駅16:49に2番線着。

 次に乗る東北新幹線は17:21発のはやぶさ106号。東京駅には18:56に着く。まだまだ夢の新幹線だなと思った。