JR和田岬線

 北海道の鉄道から一旦離れて、少し思い出鉄道について書いてみたい。

 JR和田岬線は、JR線の中で短さではナンバーワンの全長2.7キロの山陽本線の支線である。神戸の兵庫駅の海側にその専用地上ホームがあり、和田岬駅までを超低速で走る。途中駅はない。

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 この線は、終点の和田岬にある三菱重工造船所やその他の臨海地域の工場に通勤者を運ぶためだけの線と言ってもいいような線で、平日も朝夕がメインのダイヤで土曜と休日になるとほとんど走らない(2020年6月の時刻表では平日は朝夕26往復だが、日曜・休日は朝7時台の往復1本だけという極端なダイヤになっている)。
 今は電車になったが、自分が最初に乗った時(1987年4月)はディーゼル機関車が前と後ろに取りついた、「プッシュプル」という形態の客車列車を牽引する鉄道趣味をまことに刺激する列車であった。
 この客車車両はこの線だけに見られる特殊車両で、言葉で表現することが難しいしろものだった。
 もともとの車両からボックスになっていた座席を取りあえずすべて撤去して、出入口は進行方向右側だけ残し左側のドアはすべて撤去して板が打ちつけられてあった。そのかわり列車中央に一つ入り口(それも吊り扉で、倉庫の入り口っぽいの)が追加で出来て、片側3扉の車両となった。席はその入り口の正面列車の中ほど右側にロングシートの一部で6、7人分ぐらいが申し訳程度に設置されていた車両であった。吊革は下がっていたが、単に二列で下がっているだけで、手すりもないので乗り込んでも手が届く範囲に立つか定かでなく不安定である。が、スピードは20キロぐらいなので、車両が多少揺れても倒れることはないのだろう。まさにヒトが貨物のように扱われて、終点まで4分ほどなので辛抱できるだろうという意図が見え見えの列車であった。ユダヤ人を押しこめてアウシュビッツに運んだような貨物列車を想像させるような雰囲気を持っていた。2020年もこの線は存続しているが、1990年にこの客車列車は水色の古ぼけたディーゼルカー(キハ35形、キクハ35形)に置き換わり、ちょうど19年前の2001年7月1日にはお古の電車(モハ103系)に置き換わって、廃線になることなく歴史を刻んでいる。
 同じ2001年7月に神戸市営地下鉄海岸線に和田岬駅が出来て、この線の存続が心配されたが意外にも収益的には黒字路線のようで2015年の時刻表と比較すると本数が4本増えている。
 1992年から2003年の間、自分は神戸三宮駅近くの会社に勤めていた。1989年から関西に住んでいたので、客車列車からディーゼルカーへ、そして電車へという変遷をその都度見ることができて幸運だったと思う。

(この項おわり)