日高本線と富内線のモンゼツ旅の記録(その2)

(前項のつづき)

富内線の最初で最後の乗車記録】
 昭和60(1985)年9月29日(日)の早朝に埼玉県与野市(現さいたま市)の自宅を出て、京浜東北線とモノレールで羽田空港に向かいANAの札幌行き始発で千歳空港に9時過ぎに到着。苫小牧11時23分発の富内線日高町行列車に乗るために千歳空港(現南千歳)駅10時2分発の苫小牧行の各駅停車に乗る。千歳空港から日高町までは片道で2,300円。今回は明日夕方に東京に戻って来るので、周遊券は買わない。
 列車は3両編成のベンガラ色のディーゼルカーだが、飛行機から早くも黄色く色づいて見えた木々の間を快調に飛ばす。美々にて特急列車に抜かれる。10時40分苫小牧駅着。
 日高町行は4番線の1両のベンガラ色のディーゼルカーだ。当時は、まだキハ22系という古い型のディーゼルカーが残っていて、廃線予定線で最後のお勤めのように使われていた。これもそのようだった(キハ22 37)。駅でそばを食べて乗り込む。空いているので4人掛けのボックスシートを独り占めして足を投げ出して車窓を眺める。定刻11時23分発。
 列車は室蘭本線と並行して先ほど乗ってきた千歳線に向かって走り出す。工場地帯があい何が何だかという間に次の勇払(ゆうふつ)着。とまこまいといい、ゆうふつといい、アイヌ語の駅名が続くと北海道に来た実感がする。勇払では降りていくヒトが少し。駅長が待っていてタブレット交換。

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 勇払を過ぎるとそれまでの工場の敷地のようなところから、原野というかススキやヨシが生い茂る湿地の荒野のようなところを走り出す。右手に並行して道路が走り、その向こうに海が見え隠れしている。左手は背の低い雑木が茂り視界はよくない。右手から入る陽の光が眩しい。製紙工場のような煙突から白い煙の見え、橋を渡り浜厚真(はまあつま)着。タブレット交換。
 鵡川(むかわ)から先クイっと左に折れるようにカーブして本線と決別する。いよいよ富内線に入った。
 その先は、駅名と同じ鵡川という川に沿って富内まで走る。左手に山すそが迫り、川に忠実に沿って列車は川を見下ろしつつくねくねと走る。スピードは全然あがらない。水田が広がっていてちょうど刈り入れの季節となっていた。左手にサンゴ草のような赤い草の小さな群れが見え、それをうす紫の小菊のような花が取り囲んでいる。どちらの花の名前もわからない。何というのだろう。
 そのうす紫の花が旭岡では見事に群生していた。ここでもタブレット交換。信号機が腕木信号機になった。駅長が信号テコレバーにすがるようにして、信号機を操作している。
 栄までは崖っぷちになると列車はスピードを落として走る。ゆっくり、ゆっくりと。うららかな陽気で穂別までうつらうつらする。今日は早起きしたので眠気に負けそうになる。眺めも単調だし、列車もゆっくり走り適度に揺れてくる。
 川や山の陽に映える緑、それに澄んだ色の空は昨年(1984年)10月に乗った足尾線と雰囲気が似ている。
 この線名の由来になっている富内は小さな駅。列車交換で6分停車。駅長はいるが、入場券はなかった。駅前にみるところもなくさみしい場所だった。交換列車もキハ22(76)で、それを見送ってから13時19分出発。すぐに鵡川を渡り、登り勾配となる。
右手に道路が迫り、同じようなベンガラ色の軽4のトラックに手を振った子供に応え、運転手も手を振っているが、ちょっと危なっかしい。
 列車はあえぐように登り勾配を行き、やがてこの線で初めての長いトンネルに入る。途中で下りとなり、トンネル内で峠を越えたようだ。
 振内(ふれない)-仁世宇(にせう)間と仁世宇-岩知志(いわちし)間で深い谷をつくる川を赤い鉄橋で渡る。なぜかどこかで見たような景色で不思議な気持ちになる。
 14時17分終点日高町に到着。線路はそのまま先に延びていけるのに突然終着にすると決めたような駅だった。この列車の折り返しは16時6分なので何をして待ったらいいのか途方に暮れるようなダイヤである。他の3本の列車も同じようなパターンで折り返し、待ち時間の長さで比較するとまだこの列車はましな部類である。取りあえず駅の窓口で硬券の入場券を購入し、Discover Japan時代の古いスタンプを手帳に押す。

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 町のメインストリートと思しき通りに人影はなく、日曜日のせいかどの店も閉まっていた。が、思わず深呼吸したくなるようにともかく空気が清々しく澄んでいるのは驚きだった。空気が汚れようがない土地なのであろうが。その後いろいろな土地に旅したが、日高町の空気の清らかさに勝る土地はなく記憶に残った。
 それ以外に印象に残ったのは、駅長と話ができたことだった。
 街中をしばし徘徊し、3時過ぎに駅に戻り帰りの切符(札沼線の終点新十津川まで4,400円+苫小牧から札幌までの特急券自由席1,000円)を買ったとき、暇そうにしていた駅長から日高町や駅のことを聞くことができた。
 町の人口は約3,000人。今年の売り上げはもう140万もオーバーしている。切符の出前をしているせいだと思う。この線は高校生が主に利用している。それ以外のヒトはあまり利用しない。廃止になるとバスがないので高校生は大変なことになる。
 この辺にこんな大きな駅はない。信号機の片方が「占冠方」とされているので、石勝線まで伸びる予定だったのだろう。
 駅ができたのは昭和39年。駅舎が広いので掃除も大変だし、冬場は10時ぐらいになっても部屋が暖まらない。部屋に仕切りをしたいが、それなら灯油を燃やすなと言われる…
 と半分愚痴みたいな会話だった。
 戻りは数名で発車。
 雲が低くなり空が暗くなったので、早々と車内に明かりが点く。蛍光灯でなく白熱灯が白いカバーの中でぼんやりとオレンジ色に光っている。こういうのも悪くない。いつかお茶の水大学の文化祭に行ったとき、美人の学生が琴を弾くのを聴いた和室がこのような雰囲気だったことを思い出す。
 苫小牧で買って残っていたおにぎりとさつま揚げをアテにワンカップを開ける。
 往きに車窓を見ているので、余裕でくつろげる。秋が深まりゆく景色と渓谷の水の流れが美しい。退屈ではあるがまた機会があれば来たいと思える場所に見えてきた。
富内で列車のすれ違い。5人ほど乗ってくる。時刻がちょうど17時で「夕焼け小焼け」のメロディーが町に流れている。
 夕陽が黄色く山を照らし、スポットライトのようになって木々が黄色や赤く見えて美しい。
 17時40分に栄を過ぎたところで外は薄暗く暮れてしまい、車内の灯りが窓に映り、窓を閉めたまま車外の景色を見ることがほとんどできなくなった。鵡川だけが灰色に鈍く光っているのがわかる。
 春日に18時1分着。空に満月が浮かんでいるのが見えた。見晴らしの良い場所で、出来立てのホットケーキのように地平線からそう高くないところに止まっている。だが、それも一瞬で雲に隠れてしまった。
 が、鵡川駅の手前で再び月に出会う。鵡川18時11分3番線着。ここで日高本線様似からの列車と合体する。そう考えると、日高町の折り返しの待ち時間というのは鵡川で車両を連結するために時間調整をしたみたいに思える。が、そこまでして列車を連結する必要があるのだろうか。鵡川のこの列車の前の日高本線の列車は15時18分発の急行えりも3号で、これでも3時間ぶりの列車なのだ。日高町で2時間近くも待たなくても、速やかに折り返してその間に鵡川から苫小牧まで行く列車になるならその方がいいのにと思う。一方、運転手を鵡川で一人減らすことができるメリットなどが優先されているのかもしれない。35年前の廃止線の列車ダイヤに今さら疑問を持ってもしかたないのだけれど。
 日高本線からの列車は1番線に停車している2両編成であった(なぜ、富内線の列車が直接1番線に入線しなかったのかは、よくわからない)。車内でおかしな歌をずっと一人で口ずさむおじさんがいて、避難して1番線の車両に移動した。こちらもキハ22(235)であったが天井の照明は蛍光灯が煌々と明るかった。後ろに富内線の車両をつないで18時17分鵡川発。苫小牧に18時51分着。
 1本の線に乗車するのに往復約7時間半かかったことになる。
 19時28分苫小牧発の特急ライラックに乗り換え札幌に20時25分着。
 駅を出ると名月が中空に浮かんでいた。

 

(この項つづく)