日高本線と富内線のモンゼツ旅の記録(その3)

(前項のつづき)

日高本線の旅の記録】
 初回の列車旅と、不通になった後の代行バスで巡る2回目の日高本線の旅の記録を一緒に書こうと思ったが、書いているうちに長くなっているので、まずは昭和60(1985)年11月10日に様似から苫小牧まで初乗した記録を。
 しかし。そのあとに本線に乗車しに出かけたのは32年後の平成29(2017)年2月だった。いくら終点の様似が地理的に遠いとはいえ随分にも不義理をしたものだ。その間に日高本線にはこの線だけに走るキハ130系という新しい綺麗な車両が投入されたけれども、低気圧による高波であちこちの路盤が波にさらわれ列車は通れない状態になってしまった。路線はさび付き、砂に埋もれ、ところどころ宙吊りになっており、いかに列車が波打ち際に近いところを走っていたかがよくわかった。様似から鵡川までは代行バスしか走っておらず、列車は鵡川-苫小牧間のみであった。
 人間関係と同じで、自らが思い立って時に相手の顔を見てくるだけというような“手入れ”をしないと音信不通の間に驚くような変化をしてしまうものだなと感じた。後悔しても後の祭りというやつ。
 1985年11月の旅は妻と一緒で、前日帯広から広尾線で南下し、バスでえりも岬近くの小さな宿に泊まった。夕食に毛ガニが出てきたがイマイチだったことを今でも覚えている。
 えりも岬は風が強い土地で有名だが、その日も朝から風が強かった。天気予報では雨とのことだったが青空も見え、朝食前にえりも岬まで散歩した。
 宿近くのバス停から様似行きのバスに乗る。7時45分発。
 他に乗るヒトもなく貸し切り状態で、程よく暖房が利いていた。一直線に伸びる舗装された道をバスはスムーズに進む。右手には雲でやや上が隠れた日高山脈の山々が見え、それに朝日が当たってとてもきれいだ。妻は疲れたのか朝から熟睡している。
 ほぼ定刻に様似駅前に到着。苫小牧行の日高本線の列車は9時1分発で、2両のベンガラ色のディーゼルカーだった。
 後方のキハ22(258)に乗車。駅の入場券がなかったので、隣の西様似までの切符を買う。駅のスタンプは赤いインクの丸いスタンプで「高山植物の宝庫、アポイ岳のある駅」とある。この時牛乳や新聞を買っているので、キオスクがあったようだ。

f:id:Noriire23:20200503134617j:plain

 乗車率25%(4人掛けのボックスシートに一人)ぐらいで定刻発。海を見るために左側のボックスシートに座っていると、太陽が照り付けてきて眩しい。海が光り、馬が草を食んでいる。ところどころで立派な昆布が干されている。日高といえば日高昆布だったか。
 馬がともかく多い。浦河を過ぎ、絵笛(えふえ)の次の荻伏(おぎふし)などは牧場の真ん中の駅。馬が間違って乗って来そうだ。
 車窓は山の狭間になりトンネルを抜けたりするが、すぐに牧場や海のそばになるの繰り返しで、総じて単調である。これ以外はないですということのようだ。
 春立(はるたち)で急行えりも2号とすれ違う。ホームの端にセットされたタブレットを列車の運転手が身をのり出して取り込む様子を見る。
 次の東静内(ひがししずない)10時34着。どどっとヒトが乗ってくる。乗車率が約75%になる。
 空は青く、海の波は高い。静内川の大きな河口のほとんど海の上のようなところを走って静内到着。列車交換のため9分停車。その時間の間に駅舎の窓口で入場券購入。スタンプも手帳に押す。黒い丸いスタンプで、静内駅は「二十間道路桜並木のある街」だそうだ。弁当売りがいる。網に入ったミカンを買ったら、6個のうち4個が傷んでいた。それでも妻とぐずぐずと食べてしまう。
 静内から先には、まさに海のしぶきがかかりそうな波際を走った。その先は手帳には記載がない。単調過ぎて書くことがなかったんだろうか。鵡川で気づくと空は曇っている。勇払で1両の様似行と列車交換。向こうもキハ22(56)。最後は退屈で身もだえし、12時47分苫小牧定刻着。
 今廃線の崖っぷちにいるこの線のことを考えるともう少し真剣に車窓を見ておけばよかったと思う。だが、地形的には海のそばを海岸線に沿って走っているだけなので書きようがなかったのかもしれないけれど。

(この項つづく)