日高本線と富内線のモンゼツ旅の記録(その4)

(前項のつづき)
 さて、2017年の日高本線再訪の旅の記録を書くとしよう。今度は一人旅だった。

 今回(2017年2月15日)もえりも岬そばの宿に宿泊したが、前の宿とは違う工事関係者が長期滞在するような労働者の汗臭い感じの宿だった。出てくる食べ物も質より量だった。
 まだ夜の明けきらない5時過ぎに、えりも岬灯台を間近に見に行く。昨日バスで広尾から走った時にスパっスパっと緑がかった白い光があるサイクルで暗闇を切り取るように回っているのが見えて頑張ってるなと思った。
 岬には誰もいない。実物の灯台はなにか模型に近い思ったよりこぢんまりとして背の低い建物だった。それでも、東の空が徐々に明るくなっている中でも健気に光を放ち続けていた。
 岬の先は岩が海の中へ、先に行けば行くほど小さく点々と伸びてまさに地の果てという景色だった。これは記憶に残っている景色だった。
 宿に戻り朝食をとったあと、様似行のバスのバス停へ向かう。昨夜降りたところだが暗かったので付近の様子が分からなかったが、ここからも日高山脈が冠雪し、快晴の空にその稜線が美しい。快晴である。寒いが気持ちのよい朝になった。バスは7時45分ごろにやってきた。偶然かもしれないが前回と同じ時刻である。女子高生が一人乗っている。自分は運転手の左脇の眺めの良い一人掛けに座る。
 バスからもえりも岬灯台が見えた。すでに灯室の中のレンズの灯は消え、回っていなかった。
 女子高生は「えりも高校前」で降りていく。長い坂道を登らないとたどり着けない学校のようだ。校庭が広々としている。2月にしては日差しが強い。雪山の景色が近づく。
 市街地に入り、旅館が目に付く。港が近そうだ。灯台公園なるものもある。その広場の中央にあるのは、えりも岬灯台ではなくなぜか根室のノサップ岬灯台みたいなミニチュアだった。バス停「えりも駅」はコンビニのとなりにあり、道路から左に入ってわざわざ入り込む。
 街を抜けると海に近づく。水がとても澄んでいる。岩海苔がへばりついている。トンネルを抜けるとまた海の景色が楽しめる。それを繰り返すうちに様似の街に入り、様似駅前8時37分着。約1時間のバス旅だったが、晴天で山と海の景色が楽しめて退屈しなかった。
 様似駅の駅舎は広い敷地のなかにぽつんと残っていて、観光案内所と所帯を二分していた。駅前にはタクシーが1台止まっていた。駅の中の窓口にはおばさんが座っている。駅の改札を通り駅標などの写真を撮る。
 駅には左片ホームの1本だけのホームがあり、その先にもう1本の線路があり、それが激しくさび付いていた。
 9時2分発の日高本線代行バス静内行きは8時55分ころにやってきた。
 自分の他には、おばあさん1人、青年1人の3人で出発。一番前の席は荷物置き場となっていたのでその後ろで前方が良く見える二人掛けの席に座る。本線は海に面した左手にみえるはずだから、こちら側に座らなければならない。

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 発車のあと、国道236号線・235号線をメインに駅に立ち寄るようにしてバスが走った。
 バスの利用客は多くない。ほとんど乗ってこない。
 静内の一つ手前の東静内から先で、線路が海側になり一直線の箇所では、線路の下の土が流されてしまい線路が宙吊りになったままのところがあった。海抜3メートルぐらいの渚のすぐそばの場所だ。この区間は1933年に開通しているが、2015年1月の高潮で被害にあうまでに無事だったことの方が不思議なくらいだ。
 静内川を渡り、静内駅に定刻10時56分到着。ここでバスを乗り換える。
静内駅は海を背にして駅前広場に何台もタクシーが待っている都会の駅だった。
駅の中には蕎麦屋が暖簾を掲げ、暖かそうな湯気が上がっていた。ヒトもたくさん行き交い、あとは列車がやってくれば普通の駅のように見えた。
 駅の中をうろうろしているうちに次のバスの発車時刻が迫ってきたので、蕎麦屋のカウンターにあった稲荷ずしとおにぎりの詰め合わせを購入。次のバスは鵡川着が12時55分着で、接続の苫小牧行の列車への乗り継ぎ時間は7分余り。それに乗り継いで苫小牧着が13時33分なので、途中で空腹になりそうである。
 バスが定刻11時11分に少しの乗客を乗せ静内駅前を発車する。海沿いを線路とともに走る。
 国道235号線が内陸に向かおうとしたところで、バスは左に折れて新冠(にいかっぷ)駅に到着。駅舎は地域の公民館のようになっていた。時間調整かしばらく待ってバスが動き出す。駅のホームは左片ホームだった。
 その二つ先大狩部(おおかりべ)駅に差しかかるあたりで、本線の被害がどんどんひどくなっていくのが車窓から見えた。絶望的である。ついには線路が宙吊りになった。どこから手を付けたらよいかわからない状態になった。
 清畠(きよはた)手前では、コンクリートの防波堤があるにも関わらず、線路の路盤が消失して線路がところどころ浮いていた。
 その先の豊郷の手前では、線路すらも流されて何もかもなくなってしまっていた。
 一見、一直線に見える海岸線がこの辺りで地形的に見て少し内側に湾状に膨らんでいるので被害がひどくなったのだろう。
 日高門別に差し掛かる手前で、道路は線路から離れ小高い丘を越える。ちょうどその尾根のあたりの左手にちゃんとしたコンクリート製の大きな灯台が立っていた。門別灯台だ。線路は海側に敷かれているので列車からではこの灯台は見えないだろうから、ちょっと得した気持ちになる。
 しばらくして左折し、日高門別駅前に到着。駅舎はペンキ塗りたての教会のような建物。駅のホームは島式のようである。
 国道から見て線路はその先富川まで安全なところを走る。
 富川の駅前に行くためにまたまたバスは大回りしてコの字に走って左片ホームの駅に近づく。富川駅には上越線土合駅のような三角屋根が特徴の木造駅舎あった。ただし、真っ黒に塗られている。若い女性が一人乗車してくる。
 バスは広い道を走るようになり、視界が良くなって右手に門別競馬場が見える。鵡川に近づいたので静内で買った稲荷ずしを開けてほおばる。
 汐見駅は左片ホーム。あたりは葦の原。
 鵡川12時55分ごろに到着。駅にちょうど苫小牧からの列車が到着して乗客を降ろしているところだった。思ったよりヒトが多い。
 次の13時2分発の苫小牧行の列車は2番線の1両のキハ40(353)。ホームは千鳥になっていて(駅舎側のホームの先端が、向かい側2番線ホームの後方の端になっている)、側線が何本もある。
 5人ほど乗せて発車。
 浜田原左片ホーム。牛がエサの上に座り込み口をもぐもぐさせてこちらを見ている。
浜厚真も左片ホーム。貨物列車の車掌室を再利用した駅舎(ダルマ駅舎)が白塗りになっている。
 勇払を過ぎ、やがて複線の室蘭本線が右手から合流し、苫小牧13時33分着。

 何か気になっていた勤めを果たしたような気分になった。

(この項おわり)