夏の大人の休日俱楽部乗り放題切符の旅2021(その2:6月30日前半)

 久しぶりに鉄道に乗るために朝5時前に起きて支度する。忘れていたウキウキ感がある。

 最初に乗る電車は6時24分三ッ沢上町発の横浜市営地下鉄。平日の水曜日なので、電車はすでに通勤・通学客で程よく混んでいた。横浜駅でJRに乗り換える。東海道線の上り電車はこの時間帯はなぜか間隔があいていてなおかつ11両編成という通常の15両よりは短いので混んでいる。昔の関西や九州から来る寝台車が走っていた頃の名残のダイヤだろうか。よって東海道線は避け、33分発の横須賀線君津行電車に乗るために10番線へ急ぐ。が、横須賀線上りホームでも結構な数のヒトが列を作って列車を待っている。コロナの感染拡大でリモートワークが増えて通勤客は減っているはずなのに、これでは感染リスクが気になる。仕方なくホーム中ほどのグリーン車乗り場へ。電車が間もなく入線するというアナウンスに急かされて、ホームにあるグリーン券発売機にスイカを置いて東京駅までのグリーン券を購入する。

 グリーン車は2階建てだが、席が空いていた1階席に座る。天井が高い分、より安全かもしれない。

 東京駅7時5分に横須賀線地下ホームに到着。東北新幹線はやぶさ101号盛岡行は7時16分発なのであまり余裕はないけれどコンビニでおにぎりとお茶を買い、長いエスカレーターを歩いて新幹線ホームへ急ぐ。

 新幹線は空いていた。ただし、たびたび乗車する北陸新幹線と違い、E5型の新幹線は通路の床が濃い茶色の落ちついた雰囲気で、いつもとは違い別のところに旅する気分になる。

 大宮から先はノンストップで仙台まで行く快速新幹線で、通過する駅名が出る電光掲示板で位置を確かめながら、陽光眩しい梅雨の合間の好天の景色を楽しむ。あっという間に仙台に到着。ここから、全車指定席のルールが解除されて盛岡までは、自由席特急券で空いている席に掛けられるという。ガラガラなのでその余裕は十分ある。で、乗車した2号車の約半分の乗客が降りてほぼ同じ数の乗客が乗ってくる。次の古川までは7分弱とすぐだ。9時3分古川着。

 ササニシキのふるさと大崎平野の真ん中にぽつんと古川駅があるように見えた。

 自分のホコリをかぶった地理の知識では、ここは『古川市』かと思ったが、平成の大合併で2006年に古川市は消滅し大崎市であるという。そして駅名だけが残った感じだ。故郷石川の地元の松任市が平成に消滅し白山市に変わったけど、同じく松任駅の駅名だけで昔を偲べるのと同じだ。

 陸羽東線の次の新庄行は9時20分発。ホームはひとつの島式ホームの両サイドを線路が挟んでいるシンプルなもの。ここに来たのは東北の震災の1年前(2010年)以来で、この時は新庄方から更に東に向かい東北本線の小牛田(こごた)に乗り通しているので、この駅をじっくり見るのは初めてかもしれない。新幹線の巨大な船みたいな建物のどてっぱらに穴が開いて陸羽東線の線路が交差していた。冬は季節風が強いのかホーム北向きの小牛田方面側だけ、ホームの天井と床に柱が何本も立ち透明なアクリルかガラス板がはめ込まれ、乗車場所にだけ横引きの戸がついている。

 定刻に2両のディーゼルカーがやってきた。 

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 陸羽東線陸羽西線は東北地方を東西に移動するための重要な幹線の一つだが、いまだ非電化の単線で一日に1本だけ快速列車があるほかはすべて各駅停車の普通列車で、急行とか特急列車は走っていない。ローカル線らしいローカル線で一旦乗った後はひたすら水田の中を駆け抜け山を越えるために一駅一駅止まっていく。この2線には愛称がついていて、陸羽東線は途中に鳴子温泉などの有名な温泉があるため「奥の細道湯けむりライン」、陸羽西線最上川に沿って走るので「奥の細道最上川ライン」である。

 松尾芭蕉がここを紀行文『奥の細道』で旅したのは、1689(元禄2)年旧暦の5月下旬というから新暦で6月の終わりから7月にかけてになるので季節的にはまさに今頃だろう。

 東北を旅するとどこかで芭蕉源義経にちなんだ場所に出会う。

 古川から乗車したディーゼルカー(キハ111系)は車両の左側に4人ボックスが並び右側は2人が向かい合う席で4人ボックスの半分の幅となり、混雑時に立つ人の収容スペースを増やしている。空いているのでボックスシートを独り占めし、靴を脱いでのびのびと足を投げ出して外を眺める姿勢が気兼ねなく取れるので極楽である。旅に来たという気分になる。キハ111系は国鉄時代に製造されたディーゼルカーが老朽化したため、JR東日本が製造した新しいディーゼルカーである。キハ111は片側だけに運転台がついてトイレがつきトイレ設備のないキハ112と2両連結で運用される。トイレがついていない長距離列車がたまに東北で走っているので、発車前に車両のどれかにトイレがついているかどうかのチェックは大事な確認である。

 列車は途中駅でほとんどヒトを乗せることもなく水田地帯を快走する。稲穂が出る前の田の緑が鮮やかで窓一杯に夏空が広がる。

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 しばらく走って少し右カーブし西古川。島式ホーム一本の駅。左手の駅舎まで跨線橋がつながっている。タクシーが1台駅前に止まっている。駅舎から直角に伸びる通りが広々としていて先が見えないくらい真っすぐなので、目が覚めるような景色だ。駅舎のそばの小さな公園にSL(C58号機)が雨ざらしで錆びつき朽ち果てようとしている。その先は再び水田と大豆畑に戻る。

 人家が増えて岩出山駅。駅舎に隣接して鉄道資料館があるらしい。その裏手でこちらに向くところに大きく「伊達な小京都」とある。小京都は全国にいろいろとあるものだ。

 少し走って有備館駅。片面1面のホームの小駅ではあるがハイカラな木造の駅舎はパビリオンみたいだ。1996年に開業と最近できた駅らしい。

 次の上野目(かみのめ)から先、登り勾配となり奥羽山脈に突入していく。山あいの畑にそばの白い花が咲いている。川渡温泉駅は駅舎がやや貧相だったが、次の鳴子御殿場駅は木造で立派だ。逆方向に向かうらしい乗客が何人も待合室に見える。右手が谷になっているが温泉街のようだ。左側の山に取りつくように走っているうちに開けて右手の川の眺めがよくなり左手に大きなビルのホテルがいくつも見え出し鳴子温泉3番線到着。古川と新庄のちょうど中間に位置し、ここで折り返す列車も多く、駅員が何人もいて乗り降りする乗客で賑わっている。駅に足湯があるらしい。11年前にここで下車して日帰り温泉に入ったことを思い出す。周囲の山の緑が見とれるほど美しい。

 5分停車の後、発車して突然長い下りのトンネルに入る。出るとすぐに谷川を渡り再びトンネルだ。出ると谷底からはかなり高いところを走っていることが分かる。白い湯気をあげる大きな源泉が左手に見えた後少し走って、中山平温泉。右片ホーム一面の駅だが駅前の広場が広々している。まさに温泉客を待っているようなスペースに見える。

 次の堺田奥羽山脈分水嶺の駅。それほど高いところに来たとは感じさせない開けた山あいの駅だ。右手に何かグランドでもありそうな気配がある。 

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 堺田から先、列車はどんどん山を駆け下り快走する。並走する道路には車は走っていない。

 トタン屋根の山小屋風の駅舎が左手に見えて赤倉温泉到着。確かに「湯けむりライン」と言うだけのことはある。老夫婦が一組乗ってくる。駅前はシンとして人気がない。

 その先は開けて立小路。幅の狭いホームが左にあるだけの停車場。

 その先さらに町になって最上到着。この辺の中心の街のようだ。駅を改装・改築している。

 水田が広がり、時々もさもさと伸びて大きな草になったアスパラ畑がある。しばらく走り大堀。駅舎がちゃんとしたログハウスだ。次の鵜杉で一旦山中に戻る。あちこちで栗の花が満開である。近くを小国川が流れるようになり、最後の温泉駅瀬見温泉、右側に一面のホーム。平屋のコンクリートの駅舎が少し貧弱で公衆トイレのように見える。

 ベンガラ色のトラス橋を渡り東長沢到着。その先は少し高度を上げて山の中腹で停車したところが長沢。その先、下って左手前方に冠雪を少し残し抱いているのは月山のようだ。

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 列車は徐々に右カーブしていくと、左手の草むらから一本の架線と単線が現れる。奥羽本線だ。しばらく並走して南新庄、右片ホームの小駅。奥羽本線側にはホームがない。そのまま直進し新庄に11時11分定刻着。5番線と一番駅舎から遠い場所だ。が、新庄駅山形新幹線の終着駅であるため、各線への乗り換えの便宜を考えて、階段を昇り降りすることなく新幹線と三つの在来線(陸羽東線陸羽西線奥羽本線横手方面)がバリアフリーで行けるようなっていてその通路が改札口につながっている。今日はこの駅で降りてランチをする予定なので、駅中をゆっくり見て回ることができる。1、2番線は奥羽本線の上り線で新幹線が止まっていて、通路を挟んで3、4番線は陸羽西線奥羽本線の下り線ホームになっていた。

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(この項つづく)

夏の大人の休日俱楽部乗り放題切符の旅2021(その1)

 50歳以上の男女が入会できるJR東日本の『大人の休日俱楽部』は、年に何回か期間と発売枚数限定でそのメンバー向けにお得な乗り放題切符「大人の休日俱楽部パス」を売り出す。

 北海道までの乗り放題の切符も選べるが、今回は4日間東日本を乗り回せる「大人の休日俱楽部パス(東日本)」を購入し、プランを練る。

 結果、都合により今回は6月30日から7月2日の3日間の旅とする。

 この切符は東日本を走る普通列車はもちろん在来線特急と新幹線の自由席ならすべて乗り放題という夢のような切符で、さらに計6回まで指定席を確保することができるので、全車指定席の東北新幹線の「はやぶさ」や中央本線特急「あずさ」にも乗れる。

 全国鉄乗りつぶしで使うにはかなり有用な切符である。が、今回は通しで幹線を乗ることを主に旅に出かけることにした。

 乗り通す線としては、陸羽東線陸羽西線米坂線羽越本線並びに青い森鉄道の八戸-青森間と選んだ。もとJR(又は国鉄)籍があったが、都合で第三セクターになった青い森鉄道三陸鉄道なども乗り降り自由となっているのでありがたい。

 乗りつぶしのため、丁寧に幹線から延びる支線を乗ろうとすると、乗り継ぎ時間や終点での待ち時間で時間がかかり、幹線を隅から隅まで乗り通す時間が少なくなるのが不満となる。また、新幹線に乗るとそれに並走する在来線がおろそかになったりする。今回はその積年の不満の一部を解消する旅にもなる。

 ルートは、以下の写真に色のマーカーで示した。

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 初日は、横浜の自宅を出て、東京駅から東北新幹線で北上し、仙台の一つ先の古川で下車し、陸羽東線に乗り換えて西に向かい、終点新庄で下車。新庄からは更に最上川に沿って走る陸羽西線で終点の余目駅羽越本線に乗り換えて南下し、新潟県の村上まで行く。このルートに掛かる運賃は新幹線指定席券を含め17,000円余り。4日間乗り放題の「大人の休日俱楽部パス(東日本)」が、15,270円なので、初日だけでもとが取れるということである。その1日の移動距離は646.8キロであった。

 この日の旅のテーマは以下の5つである。

 二日目は、村上から羽越本線を3駅南下し、坂町から米坂線に乗り換え奥羽本線米沢に向かう。米沢で山形新幹線に乗り換え福島へ。福島で東北新幹線に乗り換えて北上し、青森県の八戸で下車し、青い森鉄道で途中、浅虫温泉で下車するが、青森まで乗り通す。青森からは奥羽本線弘前まで行く。

 移動距離は616.6キロ。

 この日のテーマは以下の5つ。

 三日目は、奥羽本線弘前から秋田まで途中で降りずに乗り通し、秋田から新潟まで南下する。新潟で上越新幹線に乗り換え帰京し、横浜に戻る。

 移動距離は、784.1キロ。

 この日のテーマは以下の3つ。

  一人旅の気楽なところは誰にも気兼ねせず途中で旅程を変更できること。

 さて、どんな旅になったでしょうか。

 

(この項つづく)

のと鉄道輪島線跡探訪

  自分がいないと石川県の実家が空き家になるので、たまに横浜から出かけ数日実家で過ごしている。コロナだろうが、ガラガラの北陸新幹線で往復するだけなので関係ない。

 石川に生まれ育ってはいるが実家が金沢の近くのせいか余り能登のことは知らないというのが急に気になったので、気候が良くなった4月の春の日に車でひとり出かけることとした。

 2021年現在でも能登へは金沢駅から七尾駅までJR七尾線が伸び、その先関取遠藤の出身地穴水までがのと鉄道となっている。のと鉄道国鉄の非採算路線で廃止対象となった能登線(穴水-蛸島間)を受け継いで1987年に誕生した第三セクター鉄道である。

 のと鉄道はその後七尾から輪島の区間も承継し、七尾駅を起点として途中の穴水から北に向かう輪島線と能登線の終点珠洲市蛸島までの2系統の路線を持つ時代があったが、その後経営合理化のため2001年に輪島線を、2005年に能登線を廃止した。

 自分が高校生の頃(1972~74年)の金沢駅には0A番線と0B番線という二つの七尾線専用の頭端で相対式のホームが改札口すぐそばにあり、ディーゼルカーが常にブルンブルンとエンジンを鳴らしながら止まっていたり、急行の能登路号が頻繁に出入りしていた。北陸本線はすでに電化されていたが、七尾線は非電化でディーゼルカーを動かすため、線路のあるところが重油臭く常になにか水に濡れているような場所だった。

 自分は国鉄全線乗りつぶし国鉄民営化の3年前の1984年から目指し始めた。

 能登線は第三次対象の廃止路線だったので、自分の中での緊急度は高く国鉄時代の1987年までに往復したが、輪島線に初めて乗車したのはのと鉄道に承継されたあとの1996年8月だった。その後廃止の前日の2001年3月30日にも輪島まで列車に乗るために出かけた。

 よって、今回は3度目の輪島への旅となるが、記憶していることは少なくコンクリート造りの役所のような輪島駅の建物とどん詰まりの一本の右片ホームの線路ばかりである。当時は有名だった駅標で、まだ先に行けるぞとの心意気高き、次駅は「シベリア」というのが書かれたものが対面の盛土のホームにポツンと立っていた。

 今回は車なので小回りが利き見たいところを見たいだけ見ることができる。二回目の廃止寸前の旅では、お昼の12時34分に輪島に到着し42分の折り返し列車で戻っている。輪島駅にわずか8分の滞在時間で引き返すとは大変失礼なことであった。そのお詫び方々20年ぶりの訪問である。

 

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Webで見ることができる廃止前の輪島駅ホーム

 旧輪島駅の敷地は、道の駅「ぷらっと訪夢」という和風の建物になっていた。列車が来ていた頃は味気ないコンクリートの建物であったが、今は生まれ変わって黒塗りで時代劇に出てきそうな瓦屋根の建物に変わり、道に面する側にはバス停が並び地域の交通の要衝にもなっていることが良くわかった。

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 駅のホーム跡は、その建物の真ん中を抜けると左手にあった。

 当時は、駅側に実際のホームが1つだけあり、その反対側の土の土手のような使われなくなったホーム上に駅標が建っているだけの1面1線の寂しい駅だった。

 その土手のホーム(と同じでない可能性が高い)に屋根がつき立派にはなったが、長さは3メートルほどと列車1両も止まれない長さになり、駅の先は「シベリア」という荒唐無稽な記述だけが残る駅標がそのホームに残っていた。右を見ればΩ型に線路が曲がり行き止まり表示器も立って終着駅だったことだけは認識できる。

 列車が発車する方向には線路が少し敷いてあるがすぐにパネルで遮られているが、その線路幅にぴたりと合ったのと鉄道の車両がこちらに向いて走ってくる大きな写真があって、その当時の雰囲気が狭い空間で再現されていた。

 薄い板の壁であることは誰でもわかったが、その向こうに満開になっているピンクの八重桜が線路の真ん中に咲いているように見えて複雑な心境だった。

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 何か駅というものを理解できていない若手の役人が作ったように一瞬思ったが、地元で残そうとしていることだけでも感謝する方がいいかと思いなおした。

 翌日は白米千枚田を見た後、輪島線の廃線跡をたどった。

 輪島の次の能登市ノ瀬駅の遺構は全くなかったが、その先の能登三井に向かう線路の道床後ははっきりと残り、能登三井駅舎は原型が残され線路跡は分からなかったが、駅標が堂々とそびえていた。

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(この項おわり)

北海道の駅たちよ、さようなら-2021年3月のダイヤ改正-

 前回のブログ更新からもう半年が過ぎようとしている。

 ブログのことを忘れているわけではない。

 世間でのコロナの第三波は強烈で、再び新規感染者が急増した11の都府県では再び緊急事態宣言が2021年1月14日に出され、実家のある石川県と自宅のある神奈川県を往復する自分にとって不規則な生活のなかで鉄道のブログを書こうという気持ちになれなかった。

 それでも、季節は巡り年に一度のダイヤ改正の時期が2021年3月にやってきた。

 そして3月末には、JR北海道日高本線の様似-鵡川間がついに廃止される。高潮でこの区間が不通になったのが2015年1月だったので息苦しく重苦しい6年間だった。ただ、高潮がなかったとしても、乗客減で赤字が累積しており116キロという長距離の区間でもあったのでJR北海道も重い荷物を漸く降ろすことができてほっとしているかもしれない。

 が、いったん廃止になれば、天気が良ければ青い海沿いに列車が走る光景と線路の響きを聴くことはできなくなる。また、そこに住む人たちの残念で将来の不安は如何ばかりか。

 明日3月13日のダイヤ改正ではJR北海道の18駅*が廃止となる。

 函館本線伊納駅のみが旭川駅の手前で、それ以外の宗谷本線、石北本線釧網本線の廃止駅は旭川駅の東側又は北側の過疎が進んでいる地域である。住むヒトがいなくなり駅が消えていく。これはこれで仕方がないことである。

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(2020年11月の時刻表:2021年3月13日に廃止なる駅をピンクで数えた)

 廃止の前に一度訪ねてみたいと思い時刻表と羽田-旭川間などの航空便の運航状況を調べてみた。が、極端に不便になっていた。旭川に行く便は全日空便(AirDoが代行)3便と日本航空で4便の計7便だったのが、AirDo2便JAL2便となっていた。それに加えて、もし宗谷本線を乗って稚内駅到着後稚内空港から羽田に戻ろうとしても、唯一の全日空便が運航を取りやめていた。コロナ感染拡大の影響で乗客が減っていることもあろうが、稚内は列車、バスか車でしか行けない場所になっていた。

 できたらその駅に一度降りることができればと思ったが、時刻表を見れば、石北本線や宗谷本線の列車ダイヤは特急主体になっていて各駅停車が止まる廃止駅で降りてしまうと立ち往生することが明らかで、もう降りてもらわなくてもいいからという駅の声が聞こえてきそうだった。また、廃止になる駅をこの目で見るために猛スピードで駆け抜ける特急列車に乗っても瞬間のことになるだけなので満足できないだろう。

 全国のJR駅4636駅(2004年当時)にすべて下車した横見浩彦氏ができたような下り列車と下り列車をジグザグに往復してたくさんの駅に降りて旅することは、もう北海道ではできない。できたとしても気が遠くなるような日数がかかるだろう。九州の日豊本線の大分と宮崎の県境近くの駅に降り立つことも難しくなっていて、今後地方で同じような傾向が出てくることだろう。

 2月下旬に出た3月13日以降のダイヤ改正の時刻表では北海道の廃止になる駅は、地図からも時刻表のページからも消えていた。

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(左:2021年3月の時刻表、右:2020年11月の時刻表)

 *消える18駅

函館本線:伊納、宗谷本線:南比布、北比布、東六線、北剣淵、下士別、北星、南美深、紋穂内、豊清水、安牛、上幌延、徳満、石北本線北日ノ出、将軍山、東雲、生野、釧網本線:南斜里

 

(この項おわり)

士幌線と十勝三股駅の思い出

 本日2020年9月24日のNHKBS放送3チャンネルの火野正平の自転車旅番組「こころ旅」で、北海道で1987年3月に廃止された国鉄士幌線の終着駅十勝三股駅を自転車で訪ねるという。

 本稿はその本放送が始まる19時の前に書いている。

 この自分のブログは北海道の鉄道旅の思い出を書き綴ってきたが、士幌線は書いていなかった。

 しかし、テレビで十勝三股駅といわれたときに、さーっとその駅の風景が浮かんで懐かしくなって急遽ブログに追加することにした。

 士幌線は、帯広を起点にほぼ真北に向かう78.3キロのローカル線で終着が石狩岳手前の十勝三股だった。線は構想としてはその先の山を越えて石北本線の上川とつながる予定だったらしい。しかしながら、線として途中の糠平(ぬかびら)までが列車で、その先は代行バスでつながっていた。代行バスが走り出したのは1978年というから、十勝三股駅には廃線になる9年前から列車が来なくなっていた。

 1985年の交通公社(現JTB)時刻表の士幌線のページを示すが、十勝三股駅まで行くバスは日に4本。帯広7時51分発の後が約6時間後の14時4分発で、後者に乗ると十勝三股駅から戻るバスがないので、帯広から日帰りするためには朝6時10分発か7時51分発の列車しか選択の余地のない乗車計画の立てにくい路線だった。

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 乗りに行ったのは一度だけ。1985年11月に会社を休んで、北海道の廃止予定線を回った時に出かけた。

 乗ったのは7時51分発。当時帯広駅は地上駅で、駅改札を出たところの1番線ホームから発車する2両編成のベンガラ(濃い朱)色のディーゼルカー(キハ22)で、7時38分ごろに大勢の高校生を乗せてやってきた。朝の通学列車である。

 その折り返し列車の4人掛けボックス席に平均すると約一人が座って定刻発。

 次の木野を過ぎても人家は結構多く帯広のまちの大きさを感じた。やがてだんだん周囲が畑となり上士幌から先は山の中になる。上士幌で糠平温泉に行くおばあさんの集団が乗ってくる。

 車窓の山々はすっかり冬景色となっている。トンネルを抜け、やがて右手に糠平湖が見えてやや遅れて9時42分糠平着。

 駅前に止まっている代行バスは9時44分発なので、すぐに発車。バスは、いわゆるマイクロバスで自分と運転手を含めて4人だ。途中の温泉前駅から一人おじいさんが乗ってくる。バスは山を登り、湖に沿うように走る。途中はまだ砂利道も残っているが、舗装道路に戻るところあたりから列車の走らない線路と並走するようになる。湖に流れ込むタウシュベツ川に昔の鉄道橋がかかっていてそれが湖の水量が減るとその劣化したコンクリートがローマの遺跡のような趣きで姿を現すので昔から有名な箇所だ。

 10時20分十勝三股駅到着。途中で降りるヒトはいなかった。

 近くにお化け屋敷のような駅舎があった。昔は蒸気機関車が来ていたようで、駅の近くに機関車転換台の丸いコンクリートの浅いプールだけが残っていた。11時5分の折り返しまでその付近の写真をたくさん撮った記憶があるが、すぐに出てこないので今回のブログではご披露できないのが残念である。

 近くにはログハウスのような家が何軒かあるだけでひっそりしている。北側に白く冠雪した石狩岳を含めた大雪山系の山並みが見え、空気が信じられないほど澄んでいるのが驚きだった。

 帰りは貸し切り状態で運転手の横に座り、話し込みながら下るとあっという間で糠平11時37分着。

 帰りの列車は先ほど乗ってきたディーゼルカーで、11時46分発。自分の他には、親子連れ4人が乗っているだけだった。13時ちょうどに帯広に到着。

札幌のループ線に乗ろう

 今回は、札幌の市内電車について書いてみよう。

 日本の路面電車は、全国南は鹿児島から北の札幌まで主要都市19で路線が残っているが、1950年~1960年代の最盛期と比べれば、19というのはかろうじて生き残っているという印象である。

 札幌の路線も東西南北に路面電車が1970年代初めまで走っていたが、現存しているのは1路線のみである。ところがその線が2015年12月に少し伸びた。それまでアルファベットのCみたいに途切れていた線が、その先端同士がつながり環状線となった。駅としては、西四丁目-すすきの間の札幌駅前通りの直線400メートルばかりで、歩いても5分ほどの距離だが、それがつながった。歴史的には大正7(1918)年~昭和18(1943)年まではこの区間に電車が走っていたようなので約70年ぶりに復活したわけである。

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札幌市電路線図(中央の緑部分:新潮社の鉄道地図から抜粋。この時には西四丁目ーすすきの間がつながっていない)

 路面電車については、社会が高齢化し身近な乗り物としての見直しがされて、世界的にも復活の傾向にある。日本でも、宇都宮市などでは路面電車の新線建設にのり出したところもある。

 短いけれどつながるのは嬉しいことである。特に環状線ループ線)であるというのは、楽しい乗り物の原点のような気がする。子供のころに乗った遊園地の鉄道の楽しさを思い起こさせる。

 東京都内を走る山手線や大阪環状線と名古屋の地下鉄名城線は一応ループにはなっているが、走る範囲が広すぎて乗って楽しいなという感じではない。一方、舞浜のディズニーリゾートラインはまさにディズニーワールドを高いところから眺められ、ぐるりと1周しているという実感にワクワク感がある。京葉線電車に手を振る車掌もその気分を盛り上げる。その他環状線としては、富山地方鉄道路面電車も環状になっている。千葉の京成本線ユーカリが丘駅から出る新都市交通の山万(やままん)ユーカリが丘線はテニスのラケットみたいな恰好の環状線である。神戸新交通ポートライナーは、真ん中のポートアイランド部分が環状になっているが、電車は環状に走らないので、これは環状線ではないが、神戸空港にも行けるし面白い路線である。

 ということで、2016年3月に滝川からの帰り道札幌で途中下車し、その400メートルの延伸区間を乗りに行った。

 まともに乗れば、あっという間にその新線部分の乗りつぶしできるが、せっかくなので一度乗車している残りの既存部分も遠回りして乗りつつ最後に新線を踏破する計画を立てた。

 JR札幌駅から地下鉄南北線に乗り換え、すすきの駅で下車した。まずは昼どきなので近くの店でスープカレーをいただくことにした。スープカレーは、いつの間にか札幌のB級グルメとして有名になったが、この地でまだ食べたことがなかった。以前サラリーマンをしていた時には、札幌に来たら何が何でもすすきのの『ひぐま』で味噌ラーメンを食べるという上司の下で働いていた影響を受けて、札幌に来るとかん水の多い黄色のチヂレ麺のラーメンを食べたものだが、時代も変わり多様性と健康志向でぶつ切りの野菜がゴロゴロのスープカレーが本日のチョイスとなった(ただし、新千歳空港でヨリドリミドリの北海道内のラーメンが食べられるフロアが出来たので、選択の余地が広がったという影響もあるとは思う)。

 骨付きの鶏もも肉の入った美味しいスープカレーでおなかを満たし、13時半ごろに外回りのすすきの駅市電のり場に向かうとちょうど3両編成の電車がやってきた。この線では1両だけの単行かと思っていたので、新鮮な驚きであった。それも新型の低床車両だ。2013年にGood-design賞受賞のオシャレでシックなブラックボディの車両である(先頭車両番号A1202B)。

 電車は適度に混んでいる。

 次の資生館小学校前で左折し、南下し始め、東屯田通手前で右折し、西に向かう。正面に藻岩山が見え出す。札幌の通りは碁盤の目のようになっているので電車も通りに沿って走り、曲がるときは直角に折れる。電車は合計6回(外回り電車は左折1回、右折5回)折れて一周する。

 3つ停留所を過ぎると電車事業所前に近づきまた右折する。この辺りが藻岩山のふもとのようだ。すぐにロープウェイ入口に到着したので、ここで一旦下車する。スイカが使えて便利だ。170円。

 有名なコーヒー屋があるので行ってみようと思う。

 スターバックスドトールも好きだけれど、自家焙煎で美味しいコーヒーを出してくれる店も好きである。そんな店が鎌倉にありその店主が出した本で、仕入れる豆が札幌の斉藤珈琲に注文しているというので、そこに行ってみようと思う。時刻はまだ午後2時前だ。

 歩道にはまだ残雪があるがほとんど融けかかっているので、歩きにくくはない。店までは一本道だった。まさに藻岩山のふもとのような場所にひっそりと店はあった。

 おねえさん一人がやっている店で清潔感あふれる店内にはコーヒー豆が樽に入っていくつも並んでいた。イートインはなく、豆を買って帰るだけだった。おすすめを聞いて、モカベースとマンダリンベースの豆を購入。

 帰り道に宮越屋珈琲店に寄る。どうしても一杯飲みたくなった。それに応えるいい雰囲気で丁寧に淹れられた一杯だった。

 市電の停留所に戻る。14時40分ごろに電車がやってくる。今度は単行1両の電車だ。

 西線十四条、西線十一条でたくさんのヒトが乗ってくる。相対式のホームがヒト一人並ぶと通れなくなるような狭さだ。そこでヒトが乗り降りしているという盛況ぶり。

 西四丁目。いよいよその先を右折して新線部分に入り込む。

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西四丁目から札幌駅前通りに入り込むところ

 電車は広い道路の左端を遠慮がちに走り始め、すぐに狸小路。すすきのとの間の唯一の中間駅。

 他の都市の路面電車は通常道路の真ん中を堂々と走るが、歩道寄りに敷設されれば、電車の乗り降りが楽で、降車したとたんに車がすれすれに通ることも避けることができる。名案だと思った。

 しばらく走り信号待ちして再度右折してすすきの到着。時刻は15時11分。

 電車で一回りするだけで1時間はかかりそうである。

 まだ藻岩山にのぼったことがないし、また乗りに来たいと思う。

客車列車にもう一度(つづき)

 (前項のつづき)

 九州では、筑豊本線の原田(はるだ)と桂川を結ぶ箇所と、廃止直前に乗った室木線(遠賀川-室木)にディーゼル機関車が引く客車列車が走っていた。原田から出る客車を牽引する筑豊本線ディーゼル機関車は、DD51という大型で、それが0番線という駅舎寄りの狭い場所に数両の客車を従えバックで入線してきたが、その姿を見てはワクワクした。さらに、1988年9月に赤字のため廃止となった筑豊本線の支線のJR上山田線(飯塚‐豊前川崎間25.9キロ)という炭鉱を結ぶ線でも客車列車が走っていた。

 この線は、3両程の客車を車両の入れ換えを助けるDE10形というという小型のディーゼル機関車が主に牽引していた。ここには1985年12月30日に訪れている。年末休みに訪問している。

 この客車列車に乗るために朝の8時11分にこの線の中心駅の上山田駅に到着した。ここ始発で、飯塚まで約30分掛けて客車列車が一日に4往復走っていた。 

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1985年2月の時刻表(日本交通公社刊)から抜粋

 今度の列車は、ちょうど折り返しの列車らしく機関車を前に付け替えるため、赤と緑の旗を持った駅員を先頭脇に乗せ、DEは一両ではずされて隣の側線をスイスイと身軽に動いて3両の客車の反対側に取りつく。その後、駅員が自転車に乗って列車の切り離しとポイントの切り替えを一人で行っている。ディーゼル機関車であるが、冬どきの冷え込んだ朝では客車の下からもうもうとスチームの白煙があがり、まるで蒸気機関車ででもそこにいるような景色であった。その始終を見てから乗り込む。客車は50系と呼ばれるエンジ色に塗られた自動ドアの客車だった(最前部のオハフ50 28に乗る)。方角的には、西に向かって走る。8時21分定刻発。発車する際にピーと警笛を鳴らすのがよい。が踏切があるたび、ピーピー警笛を鳴らすので少しうるさく感じるが、旅情はある。途中に漆生(うるしお)線と分岐する嘉穂信号場があり、一旦停止する。タブレットを交換しているはずが、それがよく見えず。次の大隈駅で交換した列車はDD51が牽引する客車列車だった。

 客車列車は80年代になると数がかなり減っていたが、時刻表で簡単に見分けることができた。それは列車番号という列車に固有の番号が時刻表の縦のラインの一番上に表示されているがその語尾にD(デーゼルカーの意味)やM(電車の意味)などのアルファベットがついていない数字だけの列車番号の列車が客車列車だった。時代は下って2020年4月時点では第三セクター長良川鉄道甘木鉄道などで数字だけの列車があるが、「全便レールバス」などの注釈があり、実態は客車列車ではなく列車番号の付け方が会社によって異なっている。

 客車列車カテゴリーの中でメジャーな分類として、ブルートレインがあるが、これはまた別のところで語りたい。

 客車列車は2020年時点で、JR九州の「ななつ星」のようなリゾート列車とSLやまぐち号などのSL列車、津軽鉄道のストーブ列車、並びにJR、大井川鉄道黒部峡谷列車、嵯峨観光鉄道や南阿蘇鉄道など第三セクタートロッコ列車で残っているだけである(規模は遊園地の列車のように小さいが、その他に和歌山県の元紀州鉱山のトロッコ列車、森林鉄道では、丸瀬布、赤沢、魚梁瀬などがあり、歴史の一端を見せてくれる)。

 その他、私鉄で過去に客車列車を最後まで所有していたのは、岡山県の同和鉱業片上鉄道[JR赤穂線の片上-柵原(やなはら):33.8キロ、1991年7月廃止]だった。

 ここは通常1両のディーゼルカーで運行されていた。その車両は年代物であったが、いつもきれいに整備されこの線だけに見られる前面の曲線が優しく癒し系の表情をしていた。これに加えて朝夕一本だけディーゼル機関車牽引の客車列車があった。客車は青く塗られ、寝台車は無いが、地元では「ブルートレイン」としても親しまれていた。列車の最後部には格子が少しあるデッキがあり、ヒトが乗っていなくても何か表情のある車両であった。ただし、自分は一度もこの「ブルートレイン」に乗ることが出来なかった。乗りたければこの沿線に一泊しないと乗れないような朝型・夜型のダイヤだった。この線自体がなぜか好きで好きで、当時の埼玉の自宅から休日に日帰りでこの線を乗りに何度か出かけた。線は廃止になったが、癒し系の車両を大切にしている地元の人たちが元の終着駅に近い山中に「柵原(やなはら)ふれあい鉱山公園」で、毎月一回展示運転をしているようである。

 その他、岐阜県の大垣から出る第三セクター樽見鉄道にも朝夕高校生の通学時の混雑緩和のために、開業直後の15年間客車列車が走っていた(ただし、2005年に廃止)。

 また、客車列車しかいない私鉄として北海道の三菱大夕張炭鉱大夕張線があったが、それについてはすでに別に一度書いたので割愛する。

 客車列車は自分にとってたまらない魅力を感じるのは、その列車の構成が分かりやすく、機関車がけん引するという鉄道の原型が残っており、加速が遅くてのんびり走る姿が懐かしく見えるからかもしれない。ただし、実体験できにくくなり、わかるヒトにしかこの魅力わかならいのかなと思うと少しさびしい。

(この項おわり)