やっぱ、北海道~(第7回:「北海道の鉄道の魅力」からタイトル変更)

(前回の続き)

 翌日は、5時38分北見滝ノ上始発の列車(一両編成)で同じところを折り返す。寝過ごすことが怖くて、3時、4時、5時前に目覚める。石油ストーブをつけっぱなしで寝ると酸欠にならないか心配になり、消して寝たらすさまじく冷え込んできた。ただし、布団の中には、豆炭のアンカ(!)が入っていたので、まあ、これがある布団の中で凍死はしないだろうと思って寝ていた。
 旅館では前日に精算は済ませていたので、宿のヒトを起こさないようにして音を立てないようにして玄関をそっと出る。ただ、前日雪道を歩いて湿ったままの靴が凍っていて、足が入りにくくて焦る。

 外に出れば、下弦の月が煌々と輝いていて、周囲は夜の延長のようである。天気が悪くないせいで、放射冷却で冷え込みはすさまじい。吐く息が湯気のように自分の周りに広がる。駅に着くと列車はキハ22 328と昨日乗って来たのと同じ車両だった。その後に到着した最終列車はどこかに回送されたのだろうか。
 定刻に、地元らしきおばさん一人と駅員の3名で列車が発車する。
 滝ノ下では、真っ暗の闇の中で、駅とホームの除雪を駅員がしている。
 5:55ごろに目を凝らすと外の景色の輪郭がわかるようになってきた。
 上渚骨でキハ22 118と交換。余りに月が煌々と輝いていて綺麗だったので、16号線駅に到着後、北海道特有の二重窓を二つとも思いきり開けて月の写真を撮る。この線は、この辺では両脇が小高い丘の間の平地を行く。その間に川が流れ削られたような地形である。昨日、万字線や歌志内線でもおなじような景色を見た記憶があり、石炭がある場所に共通の地形なのだろうか。積雪は30~40センチくらい。6時31分定刻に終着渚骨着。まだ、夜が明けていない。次に名寄本線遠軽行に乗り換え、6時35分発車。北海道の列車は不便に思う時があるが、朝や夕方の乗り換え列車の接続はよく考えられていると思う。
 渚骨の次の潮見町駅手前からその先で紋別灯台が点滅するのが見える。紋別近くで朝になり、左手に流氷を見て中湧別(なかゆうべつ)7時25分2番線着
 その先、同じく第二次廃止対象の湧網線に乗って、凍った上に積雪がある真っ白のサロマ湖を眺め、約2時間半かけて網走に行く。中湧別駅で一番大事なのは、食糧の調達である。駅の売店でパック入りの牛乳と菓子パンをゲットした。それ以上のものを買いたくても無理であるが、それでもありつけるだけでよしとしよう。鉄道の旅は、意外と腹が減るので、途中駅で全く売店がなさそうなローカル線の旅では、食糧の確保できる駅で何か食料と飲料を購入することは重要な思慮である。空腹を抱えて我慢する修験者のような旅は楽しくない。網走10時09分到着。網走では、1時間の待ち時間を利用して流氷まつりを見物しにタクシーで海辺の会場を往復した。流氷の像などがあったが、にぎやかなBGMとは裏腹に観光客は多くなかった。 
 網走11時19分発の釧網線の各駅停車で、ぐるりと道東を時計回りに回って釧路に着いたのが15時25分。その先16時05分釧路発の根室本線根室行に乗り、終点根室に19時18分に到着。本日は14時間近くかけて鉄道の旅が出来、充実した一日だった。
 興浜北線は1985年7月1日に、興浜南線は1985年7月15日に、渚滑線は1985年4月1日に、湧網線は1987年3月20日に、名寄本線は1989年5月1日に廃止された。

                                                                                                         (本章 おわり)