北海道の鉄道の魅力(第2回)

(続き)

 同様の状況は、他の地域のJR(例えば、JR四国)でもありうると想像でき、日本の交通網の中で、地方の列車ダイヤの維持自体がますます危うい状況になっていくことだろう。
 文明開化の象徴の一つとして、1872年(明治5年)に日本で鉄道が走り出し、約100年後の1968年(昭和43年)10月のダイヤ白紙改正で、全国国鉄で特急・急行が増発され、鉄道の栄華のような時代が到来したが、それは底辺でローカル線の赤字が膨らみ始めた時期だった。自動車が普及し、道路網が整備され始めた時代であった。その約20年後の1987年に、大きな赤字を背負った国鉄は民営分割され、今、約30年後の2016年に北海道でダイヤが減らされ、将来の生き残りの厳しさが明らかになった。2031年北海道新幹線が札幌に延伸するというが、その頃にJR北海道にはどれくらいの路線が残っているだろう。
 自分は、いわゆる趣味で鉄道に乗る「乗り鉄」として全国のJR(国鉄)と私鉄を一通り周り終えたが、何となく物足りなくて、余り実行した先例のない(と思われる)全国全線2周目の完全乗車をねらってみることにした。
 その2回目の踏破は、自分の地元の関東圏はほとんど終わったものの、2016年末の時点で、北海道、西日本、四国、九州はいつになったら再訪が終わるのか見通しがつかなかった。が、上記のような事情であるため、急いた気持ちで2017年の2月から3月にかけてJR北海道だけ2回目の乗りつぶしは終わらせた。全般に進捗が遅い一番の原因は、会社勤めを続けていたこと、特急乗り放題の手ごろな周遊券がないこと、仕事で(ついでに)出かけなくなったことが大きいが、2016年の暮れに定年退職となり一度仕事から遠ざかることができて自由な時間ができたので、2017年2月に北海道を優先して乗車した。ただし、これもちょうどその時にJR東日本の50歳以上の会員制の「大人の休日倶楽部」のJR北海道も含めた乗り放題の切符が発売された時期であったことも幸いであった。
 そのうちに、列車のダイヤが減ってくれば益々移動する効率が悪くなり、旅行に時間がかかるようになる。その結果、出かけても費用と時間が掛かりすぎることがわかり面倒になる。
 悪循環である。
 歴史的にみても、北海道で鉄道が敷設された事情は特別だったと思う。明治時代に蒸気機関車が走り出すとほぼ同時に、国益を生み出すために未開の地に埋蔵されている石炭の鉱脈から石炭を採掘し運搬するために鉄道が敷設された。もとからヒトを運ぶ旅客交通手段として採算を期待していたわけでなかったのである。それを、人を運んで運賃収入をどれだけ得られたかという、現代の都会の鉄道のレベルと同列で評価して、路線の維持か廃止を決めるのには無理がある。そもそもヒトが住んでいない場所に敷設したので、ヒトが多く乗るはずがないのである。さらに国鉄時代は、従業員は、公務員ゆえに自分たちの企業努力のモチベーションのない世界にいた。そういう状況で、全国一律の合理的な基準を導入して、JR北海道の支援のハシゴを外してしまったのである。その結果が昨今の状況である。
 自分は、大学を出てから転職はしたものの、製薬会社の事務系の仕事を続けたので、薬の安全性管理と少し近い意見である。
 列車も安全に運行することが第一であろうが、時に利益優先となり、乗せている乗客のことを考えていたのかと問われるような事故をJR北海道は2016年と2017年に起こしている。
 製薬では、国の指導みたいなものがその都度介入するので大きな事故になる前に会社がたとえ暴走してもブレーキがかかることが多いが、鉄道ではどれくらいの行政のかかわりがあるのだろうか。間違えば人命にかかわる点では、製薬産業と鉄道事業は近いが、現在の地方の鉄道事業ではすでに乗客の安全が主という感覚は低いと感じることがある。安全に運行できなければ、さっさと事業から身を引き、例えばバス会社に転向するように指導する厳しさが必要であろう。
 効率や採算主義が、一律にしゃくし定規となった世の流れを変えることは難しい。経費を節約してサービスだけを継続する方法は列車を運行することだけではないだろう。ただし、その考えから、例えば、採算の悪い箇所(路線)をすべてバスに変更して、その結果公共交通としての役目が果たせるかは、個人的にはよくわからない。北海道の冬は厳しく、バスで長距離の移動が確保できるかわからない。
 自分としては、さらに不便になる前に一度出かけて久しく行っていない箇所だけは再訪して来たいと思う。今回のシリーズはその記録も含めた。さらに、過去に北海道のローカル線が元気だったことの記録を抜き出し、その一部を付け加えてみた。
 人間は、記憶だけでも生きていけるのだろう。が、記憶の中だけで列車が走るようになってしまうのは、なんともやるせないことである。