北海道の鉄道の魅力(第4回)

 北海道超ローカル線5線への旅は、1985年2月6日(水)上野19時50分発の東北線経由の電車(3段式)型(583系)の寝台特急ゆうづる1号で、出発。青森に翌朝の5時3分着。5時25分発の青函連絡船摩周丸に乗り継ぎ、9時15分に函館に到着。その先は特急おおぞら5号で札幌(到着13時39分)に向かった。
 今だと函館までなら新幹線か飛行機であっという間に北海道に到着するので、かなりあっ気ない。一方当時は、北海道に渡る青函連絡船で約4時間の船旅が入り、札幌に到着するのに、18時間近くかかるというだけで、北海道に行く覚悟みたいなものが体内に満ちてくるのが分かる感じがした。
 当時は国鉄が北海道ワイド周遊券を販売しており、連続する20日間有効で、北海道内を走る急行並びに特急列車の自由席は乗り放題で、大人では東京出発で往復の運賃(特急券や寝台席券代は除く)が35,000円(学割では25,900円)であった。さらに、10月1日から翌年の5月31日までは、これが2割引きとなって、28,000円(学割で、20,720円)で、当時でもお得感絶大な切符だった。当時は、北海道内に夜行列車が走っていたので、北海道内の鉄道に乗りっぱなしでホテルにも泊まらず、駅前の銭湯などを利用して、20間節約旅行する学生がいたらしい。今回は2月12日まで休みを取っているので、有休は3連休の前後3日間取り、まる6日間の行程であったが、総合的みてもお得なこのワイド周遊券を利用した。
 当時勤務していた製薬会社の自分の部署は今でいう臨床開発部モニタリング部門であった。ほぼ全国の病院で新薬の承認申請を行うための臨床試験、いわゆる「治験」のデータを津々浦々の病院の担当者を社内で決めて訪問して、新薬の臨床試験データを回収するのが仕事であった。北海道にも治験を実施する病院は沢山あって、同じグループで津々浦々に出張するのだが、北海道に行くヒトはまず効率を考えて、飛行機で出張することが許された。自分も旭川の病院の担当になったことがあったが、仕事は飛行機で、趣味では青函連絡船を使った(青函連絡船も、トンネルが開通して1988年に廃止になることが分かったので、不便でも乗っておこうという気持であった)。
 当時は、長女の生まれる4年前で29歳と若かった。妻は仕事が休めなかったので、自由度の高いのひとり旅だった。前日に名寄駅前のホテルに泊まった後の2月8日の旅程は以下の通りで、名寄を夜明け前の6時22分発の列車に乗り、日没後の18時32分までほとんど乗りっぱなしである(地図は後日作成予定)。恐らく、妻といっしょなら組めない旅程である。
  
    名寄 6:22 → 6:58 美深(びぶか)335D(列車番号)宗谷本線(2018年現存)
    美深 7:10 → 7:40 仁宇布(にうぷ)921D 美深線(廃止)
   仁宇布 8:04 → 8:30 美深 922D 美深線(廃止)
    美深 8:40 → 9:40 音威子府(おといねっぷ)337D 宗谷本線(現存)
  音威子府 10:03 → 11:24 浜頓別(はまとんべつ)725D 天北線(廃止)
   浜頓別 11:45 → 12:31 北見枝幸(きたみえさし)925D 興浜北線(廃止)
  北見枝幸 13:10 → 14:20 雄武(おむ) 宗谷バス(現存)
    雄武 15:20 → 15:50 興部(おこっぺ)828D 興浜南線(廃止)
    興部 16:28 → 16:55 渚滑(しょこつ)627D 名寄本線(廃止)
    渚滑 17:24 → 18:32 北見滝ノ上 729D 渚滑線(廃止)

 上記のなかで、当時一番興味が惹かれたのは興浜(こうひん)北線である。
 宗谷本線の支線の天北(てんぽく)線の途中駅浜頓別から北見枝幸駅まで南東にオホーツク海岸に沿って伸びる30.4キロの行き止まりの線だった。ただし、その先は海岸に沿って民間のバスが接続していて、興浜南線の終着駅の雄武まで行くことができた(往復しなくても、通しで旅ができるのは気分が良いことである)。国のもともとの構想としては、浜頓別と名寄本線の興部までを結ぶ興浜線になる予定で、北見枝幸と雄武間のバスからもその延線工事が進捗している個所を右窓に見ることができた。その反対側は北見枝幸から雄武までの間は防波堤もなく、まさに最果ての海岸が広がるだけの場所で、当時でも住む人が少なく、長大なる興浜線の必要性は全く感じられなかった。
 興浜北線は、その北部分をのんびりと往復する1両編成が、日に数往復する超ローカル路線であった。途中に北見神威岬という小さな岬があり、海に岩がせり出ている箇所があって、一両編成のディーゼルカーがキィキィ車輪を軋ませてその岬を崖っぷちを地形に忠実に崖から落ちないように慎重に走るのは、現実離れしすぎて、笑ってしまいそうなほど最果てに来た気分にさせてくれた。さらに目梨泊(めなしどまり)などという、不思議な響きの無人駅があり、夏場には、ルピナスというピンクや白、黄色の場違いにあでやかなで可憐な花が咲き乱れ、この世とも思えないような風景を見せてくれた。北見神威岬は今なら、トンネルを掘ってすんなり走るところを、トコトコゆっくりと走るのは、なんとも時代遅れだが、人間の手作り感覚が残って愛おしく感じる路線でもあった。
 この岬には白地に黒の横縞模様の灯台が立っていて、灯台趣味に目覚める前だったが、素直にいい風景だなと感じていた。この線は、1985年7月に廃止されたが、この年の2月に初めて出かけ、その後、もう一度行きたくて廃止直前の6月にも乗りに出かけた。