やっぱ、北海道~(第6回:「北海道の鉄道の魅力」からタイトル変更)

(前回の続き)

 この日最後に乗った渚滑線は、結局一度切りの乗車であり、夕闇の中を下り列車で走り、終点で宿泊の後、夜明け前ごろに上り乗車で往復するという不出来な計画で乗車した線だった(自分の乗りつぶしの『乗車』の定義では、「車窓が見える明かるいうちに乗る」ということに適合しないので、この場合、集計上『脱落』となる)。
 渚滑線は(自分のパソコンは既に「しょこつ」を「渚滑」に変換しない)、名寄本線の海沿いの渚滑駅から内陸に入った北見滝ノ上駅までの34.3キロの盲腸線である。横浜から東京日本橋までとほぼ同じ距離である。ただし、終点北見滝ノ上は、広大なサクラソウの咲く公園で当時から有名であり、季節が良ければ、丘の一面ピンクのじゅうたんが見頃となる観光地でもあるが、観光客が通年でやってくるような土地ではないようである。 

 当時のメモを見ると、雄武から名寄本線接続駅の興部で乗り継いだ列車(二両編成)が途中の旭ヶ丘駅付近で陽が沈んでいる。北海道の東側は本州よりも日没が早い。左手に流氷を見、列車が巻き上げる雪が地吹雪のように見え、日が暮れて、空と積雪の色がモノトーンの同じ色に変っていた。渚滑に定刻の16時55分着。
 列車から降りると、鶏糞を焼く強烈な匂いが鼻をついた。近くに養鶏場か鶏糞肥料の工場があるようだ。廃線が決まった駅の待合室に貼られた名寄本線存続を訴えるポスターが、むなしい。名寄本線の支線の興浜南線と共に渚滑線は第一次廃止対象路線(正式には、第1次特定地方交通線)であるが、名寄本線は第二次廃止対象路線(正式には、第2次特定地方交通線)である。「本線」と名が付いている線では、名寄本線は唯一の廃止対象であり、距離も138.1キロと長大である。東海道線ならば、東京から沼津を超えて東田子の浦あたりまでの距離である。親子一家全滅の運命がほぼ決定となり、なんともやるせない雰囲気が、駅に漂っているように感じた。
 待合室で燃える石油ストーブが熱い。やがて紋別方面から来た二両編成の前の車両一両が渚滑線北見滝ノ上行となる。高校生が多く、50%ぐらいの乗車率(座席占有率)で、17時24発定刻発。この盲腸線は、終点から木材を搬出するために敷設された線とのことで、その運搬の必要がなくなってしまえば、収益を得る手段としての存在価値もなくなったのであろう。
 外は、すでに漆黒の闇となり、車内の照明のために、窓は鏡のようになって、時に過ぎゆく街灯や家の灯りの他はまったく景色は分からない。途中の停車駅の駅舎やホームも暗く駅標も見る気力が起こらない。
 明日も、その先の線との接続の関係で早朝の一番列車にて夜明け前に折り返すので、この線に来た意味は何もないようにも感じる。終点の北見滝ノ上で一泊することだけが目的になっている。当時の国鉄には、北海道全線20日間乗り放題のワイド周遊券があって、北海道内はどこを乗ろうが料金は一定で、特急列車の自由席も追加料金不要で乗れた。だから、車窓が見ることができないような線にも分け入って、念のため足を延ばそうというモチベーションが生まれてくる。もし、恐らくそういう周遊券がなかりせば、鉄道趣味にも簡単にハマらなかったろうなと思う。たぶん。それとこの時期には、国鉄や日本の鉄道全線を乗りつぶそうという気持ちは全くなかったので、純真にどこまででも、この切符で時間の許す限り乗ってやろうと思っていた。
 車内を見渡せば、この列車は高校生たちの帰宅列車であった。男子高校生は数学や物理の問題を解いているし、女子も微積分問題を解いたり、何やら国語の宿題のようなものを考えながら答えを書いていたり、文庫本に没頭していたりで、大変まじめな彼らであった。今なら、間違いなくスマホをゾンビのように触っている人間が絶対ほとんどだろうけれど、そういう時代だった。
 下渚滑を過ぎ、完全に外の灯りが見えなくなった、と思ったら、進行方向右手の遠くに灯りが浮かび上がったりしてくる。が、それにしても退屈である。メモすることもなくなった。
 夜乗る列車では、ボックスシートの窓が鏡となり、前のボックス席のこちら向きの乗客の顔を盗み見することができる。今は、低い声で喋っている相手の顔を親身になって見ているこちら向きの高校生の表情を眺めることができる。真剣にヒトの話を聞く姿は美しい。窓に反射している情景であり、まさか肩肘をついて外を眺めている姿勢のこちらが、その表情を盗み見していることに気付くことはまずない不思議なシチュエーションである。
 上渚滑で列車交換。学生の半分近くが降りていく。
 上り列車との交換の時間を利用して、改札口を出て硬券の入場券を買う。当時はこのような駅でも駅員がいたものだ。当時の単線の鉄道線では、列車の交換(行き違い)の際、駅長が人力でポイントを切り替え、タブレット(通票)を交換するために人手が必要だったのである。ただし、駅長だけの駅では、客を相手に(特にオタクという趣味で切符を集める人間相手に)切符を販売する余裕がなく、列車を定時に走らす方が優先されて買えない場合もあった。この駅の入場券は、駅のスタンプが押された小さな紙袋に入り、その中に下駄のキーホルダーが入っていた。まもなくこの線が廃止となる気持ちを収めるために、何かしたくて考えた駅員アイディアだろうか。翌日乗車した勇網線の駅(計呂地 けろち)でも、入場券にサロマ湖近くで取れたらしい貝殻のキーホルダーが付いてきていた。
 終着北見滝ノ上定刻18時32分着。予約していた駅前の旅館に宿泊。