やっぱ、北海道~(第8回)

ⅱ.石北本線
 石北本線新旭川と網走を結ぶ234キロの長大な路線で、北海道の中では、根室本線(443.8キロ)、函館本線(423.1キロ)と宗谷本線(259.4キロ)に次ぐ。特急列車も走る。
 自分はこれまで3度ほど乗車しているが、正直、この線を余り真面目に乗車して来なかった。
 最初(1985年)は途中駅の美幌から分岐する支線の相生線(1985年4月1日廃止)に乗るために、美幌の駅前旅館に泊まった際に、乗車した。ルートとしては、当時の池北線(根室本線の池田と石北本線北見を結ぶ国鉄線。第2次特定地方交通線となって廃止対象になったものの、地元自治体の第三セクターに生まれ変わって「北海道ちほく高原鉄道:通称、『ふるさと銀河線』」に改称して運行が続いたが、2005年4月廃止)を乗車したあと北見から夜間に乗車した。
 その時も2月の猛烈に寒い時期で、降雪のために池北線の列車が遅れたので、美幌の旅館に到着が遅れる旨を電話で連絡したところ、宿の主人が駅まで迎えに来てくれた。その主人と二人でタイル張りの大きな浴槽に一緒に浸かり、話がはずんだことを思い出す。
 しかし、生憎なことに翌日の相生線の列車は、線路に雪の吹き溜まりができたことが原因で午前中は不通と決まったため、急遽石北本線を引き返し岩見沢駅付近の廃線対象のローカル線(万字線及び幌内線)に乗ることにした。その時も雪の影響で列車が遅れたのと、コースをどう変更するかを時刻表とにらめっこをしていて真面目に外を眺めていない。
 二回目は、1987年3月に、一日2往復しかない名寄本線の湧別支線に乗るために出かけ旭川遠軽の間を往復しているので、車窓は見ているはずだが、記憶が怪しい。
 三回目は同じ1987年9月に旭川で仕事のあとに当時走っていた急行「大雪」の寝台列車を深夜に乗り、網走まで行った後に、引き返して当時第三セクターに生まれ変わる池北線に乗るために北見まで引き返している。夜の1時ごろまで旭川の飲み屋で時間をつぶして、B寝台の3段ベッドにもぐりこんだことと、夜明けに寒くて目が覚めたことぐらいしか記憶にない。
 そして四回目が、約30年後の2017年2月の乗車であった。まったくのご無沙汰で、人間ならば、放っておかれたと気を悪くして口もきいてくれないだろう。
 2月13日(月)朝4時に起床。横浜自宅の最寄駅発の地下鉄の始発電車5時16分発に間に合わす。この季節に北海道に旅するのは酔狂の一つだろうなと自嘲気味に駅まで約15分の夜道を急ぐ。満月と下弦の中間の膨らんだ月が東の空で輝いている。横浜でも気温が0度ぐらいに冷え込んでいる。
 横浜駅で5時34分発の特快羽田空港行の京急に乗り換えて、空港に定刻5時53分着。この時間でも列車は混んでいた。ANA側の改札を出てエスカレーターを上ったところのコンビニが開いていたので、ミックスサンドと明太子おにぎりとホットコーヒーをゲット(水は液体なので、ペットボトルは荷物検査の後に買う)。
 Air DO旭川行は6時40分定刻発。出口に近い窓際の席だ。晴天の旭川空港に8時15分着陸。さて最初の本日の問題は、9時ちょうど旭川駅発の石北本線の網走行に乗れるかである。空港から駅までは距離があり、空港バスを利用しているようでは間に合わない。そのため、空港でタクシーが捕まえられるかが第一関門。都会のようにそれほど空車がいるとも思えないし、朝なので、車の渋滞も覚悟である。飛行機を降りて通路を小走りに走り、なんとかタクシーを捕まえることができた。
 道路は出勤する車の渋滞もなく、旭川駅に35分ほどで到着し、9時8分前である。みどりの窓口も混むかと心配したが、並んですぐに、特急自由席にも7日間乗り放題の北海道フリー周遊券(26,320円)を購入できた。が、9時発の特急オホーツク1号の指定席は満席で予約できず。まあ、乗れるだけでも良しとしよう。その後だと11時18分のオホーツク3号である。ただし、翌月3月4日のダイヤ改正では、オホーツク1号の旭川の発車時刻が8時35分に繰り上がり、11時台の特急がなくなり、次の網走行は12時41分旭川始発の大雪1号になっていて、空港から4,000円余りのタクシー代を支払っても今月中に旅する理由がここに存在している。
 今回の旅行は、30年前の廃線多発期と同じような、乗り継ぎが不便になるダイヤ改正前の、突き動かされ旅である。自分は定年退職を昨年12月にしたものの、縁があり、別の会社で4月からフルタイムの仕事を再開予定なので、働き出したら休めないという事情もある。
 3番線ホームに上がると右手から6両編成の列車がちょうど入線してくるところであった。列車は年代物の183系というディーゼルカー。これも老朽化が進んでいるので、いつまで走れるのか不安に感じる。自由席は1号車と2号車の1号車寄りの半分。混んでいると覚悟して乗車した先頭1号車(キハ183-1554)になんと空席がぽっかり並びで二つ空いていた。右手から日差しが入り込み眩しいので、この左側の席は左手の車窓も見やすく、何か神様に感謝したくなる。積雪があるので、その照り返しで景色が眩しいが、それは贅沢というものだ。
 列車は、旭川駅を定刻で出ると、小駅を快調なスピードで通過し、S字カーブで徐々に山手に入っていく。左手の石狩川を鉄橋で越える。土手にカメラを構えたヒトが3人。雪原を快調に走って上川到着9時42分。車掌がテープでなく、英語でも案内をしている。30年を経て、時代が変わってきていることを感じる。JR北海道の特急にそもそも余り乗車していないわけではないが、網走に流氷を見に行く海外の観光客が多いのだろう。
 上川駅は、平屋のコンクリート製。旭川より雪が深い。
 その先列車は、山中にさ迷いこむ。10時過ぎに見上げるようなところを走る高速道路(旭川紋別自動車道)の橋をくぐり、上越(かみこし)信号所通過。積雪から線路のポイントを守るシェルターがその前後にある。信号所であるが、平屋の駅舎のような小屋がありその煙突から、青白い煙が出ているので、ヒトがいるようだ。
 その先も、信号所を通過するのを鉄道地図で確かめるくらいで、山中に入り込んだり、その先、再び平地を走ったりで車窓に変化は乏しい。自称「乗り鉄車窓派」であっても、こういう景色で緊張感を持続させるのは苦痛になる。この線の注目された点は、数年前までは日に上りと下りが1本しか止まらない駅の上白滝駅があった。また、「白滝」が付く駅が4駅続いていたが、2016年3月に、上白滝駅、下白滝駅、旧白滝駅の3駅が一挙に廃止になり、白滝駅だけが生き残った。

                             (この項、続く)