田原町駅での福井鉄道とえちぜん鉄道の渡り線乗車(その2)

(前項のつづき)

 テープの案内がホームに流れ、9時56分ごろに3両編成の低床のモダンな赤い路面電車が入線してきた。福井鉄道の新型車両のフクラムだ。

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(写真は、田原町駅の2番線ホーム。ホームの先に延びるのが“渡り線”で、その先えちぜん鉄道につながる)


 福井鉄道のフクラムは、走り出して4年目なので真新しくオシャレなデザインだ。富山のセントラムポートラムも、富山県高岡市を走る万葉線路面電車アイトラム)も低床式でいずれも従来の路面電車のイメージを一新する次世代型車両である。広島電鉄グリーンムーバーがその嚆矢(こうし)であったと思う。
 低床式の路面電車は、鉄道が今後も生き残っていく一つの手段かなと思う。
 理由は、駅での階段の上り下りが少なくて済むので、高齢者、身体障害者、ベビーカーを持つ人達にとっては利用しやすい交通手段であることだ。また、熊本電気鉄道などで実施しているが、自転車を乗せることができる路面電車がある。オランダのアムステルダムに1998年に行った時には市内を走る路面電車に普通に自転車と一緒に乗ってくるヒトがいて、びっくりしたことがある。海外では日本ほどは電車が混まないのでできると思ったが、日本でも週末や平日の朝夕を除けば地方鉄道で可能だろう。ただし、その低床式車両を新しく製造すること自体が零細な鉄道会社の一つのハードルかもしれないが、地球にやさしい乗り物であることは間違いないだろう。
 この田原町からえちぜん鉄道三国港方面にこの低床式車両を通そうとした場合に、それまでの高床式電車のホームは使えない。新しく低床式ホームを建造することが必要になる。どう克服したのかが興味津々である。えちぜん鉄道では、この低床式車両が走る鷲塚針原までの区間を「フェニックス田原町ライン」と呼んでいた。
 この三国芦原線は当然単線である。ワンマン運転で運転手が福井鉄道からえちぜん鉄道に交代し、9時58分に定刻田原町発車。わずかばかりの渡り線を走りゴトゴトとポイントを通過してえちぜん鉄道に入り込む。

 

 次の福大前西福井は相対ホームで列車がすれ違いできるようになっている。駅全体がショッピングモールの下にあり、ドームの中にいるようだ。まずは高床式ホームが座っている胸の高さで現れ、その先に低床式ホームが現れて停車。と、右側にすれ違う黄色の低床式車両が見えた。これはえちぜん鉄道が所有する低床式車両キーボ(ki-bo)2両編成だ。あっという間に出ていったので、写真がうまく取れない。

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 その次の日華化学前は右片ホームで、ここも同じく高床式ホームの先に低床式ホームがある。乗り降りなし。列車はゆらゆら走る。次の八ツ島も右片ホームで、同じところに低床式ホームがあり停車。都会の真ん中ではないにしろ、高床式ホームの先に低床式ホームが設置できるスペースがあったことは幸運なことであったろう。
 新田塚は、もともと高床式電車で島式ホーム(一つのホームの両側に線路がある構造)だったので、なんとその外側に低床式ホームが相対ホームで出来ていた。右には胸あたりまでホームの地面が迫る景色は面白い体験だ。

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 列車は菜の花が河原に咲く九頭竜川をトラス橋で渡る。少し行くと右片ホームの中角駅があるが、通過。ここには低床式ホームが設置されなかった。乗降客が少ないのだろう。
 田園地帯を走り、ホームセンターを右手に見ながら鷲塚針原10時9分定刻着。
 ここには、低床式専用ホームが3番線として設置されていて、その先が行き止まりとなっていた。
 島式ホームに待機していた福井行の電車がすぐに発車していく。

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 このあと、10時48分発の福井行電車で戻る予定。その前にこのフクラムは10時39分に発車していった。
 その待ち時間にスマホを見ていると昨日志村けんコロナウイルス感染による肺炎で亡くなったとのニュースが飛び込んできた。
 1989年長女が生まれる前で大阪で単身赴任していた当時、寝台急行銀河で東京に向かい、翌朝小田原で列車を降りた際に美空ひばりの訃報をラジオで聞いたことを思い出した。

 

 調べてみると、フェニックス田原町ラインで乗客が増えたのは直通で福井方面からえちぜん鉄道に乗り越す学生が増えたことが原因のようだ。福大前西福井の周辺に福井大学福井商業、藤島高校などの学校があるので電車を利用する学生は多いことだろう。
 えちぜん鉄道の前の会社であった京福電鉄には悲しい歴史がある。
 えちぜん鉄道は2002年にできた第三セクター鉄道で歴史は比較的浅い。が、その前身の京福電鉄時代に二度の列車の正面衝突事故を2000年12月と2001年6月に起こしてしまった。続けて2回はないだろうと思った記憶がある。ちょっと乗りに行けないなと思った記憶もある。京福電鉄は京都に本社を置く鉄道会社で、1942年に福井にあった鉄道を越前本線として統合した。これらの事故により全線で列車運行が停止し、最終的には廃止届を出すこととなり、京福電鉄は福井から撤退した。しかしながら、鉄道が冬場の豪雪に強い交通手段であるため地域の足としての強い要望があり、地元の福井市勝山市などが第三セクター方式でえちぜん鉄道として経営を2002年に復活させ、2003年10月に全線で営業運転を再開させたという経緯がある。
 また、えちぜん鉄道には、「アテンダント」という若い女性の車掌さんが乗客のサポートするという珍しいサービスがある。それを見るために2008年5月に乗りに来たことがあった。
 地方鉄道にしては、いろいろな試みをして乗客を呼ぼうという努力が実際のサービスで実行されているということは本当に素晴らしいことである。
 一時廃止にまでなった路線がよみがえり、フェニックス田原町ラインもできた。そこにキーボ(希望)という黄色い次世代型低床式路面電車が走っているのである。

(この項終わり)